新聞うずみ火 編『住民投票までに知っておくべき「都構想」の嘘と真』 : 〈子供だまし〉の大阪「都構想」
書評:新聞うずみ火 編『住民投票までに知っておくべき「都構想」の嘘と真』(せせらぎ出版)
柳本顕(元自民党大阪市会議員)、松本創(ノンフィクションライター、2016年日本ジャーナリスト会議賞受賞作『誰が「橋下徹」をつくったか』ほか)、森裕之(立命館大学 政策科学部教授)の3人の、「大阪都構想」についての「講演」を収めており、たいへんわかりやすい内容となっている。
特に「具体的事例」を紹介した柳本の話には、注目すべき点が少なくなかった。
例えば、維新の会はながらく、「大阪都構想」の実現が必要な理由として、大阪府・市の「二重行政の無駄」ということを強調してきたが、大阪府知事と大阪市長の双方が、維新の会で占められている現在は、当然のことながら「二重行政はない」と、松井一郎市長は、市議会での質問に答えている(P11)。
では、どうして、今でも「都構想」を推進しているのか?
松井市長によれば、将来、知事と大阪市長が別々になれば、仲違いをして「二重行政」が復活するかもしれないからだ、と言うのだ。しかし、これはおかしい。
なぜなら、「両方が、維新の会の政治家だから、仲違いをしない」というのであれば、それは両方が「自民党」の政治家であっても、他の政党であってもかまわない、という理屈になる。
とにかく、知事と大阪市長を、同じ政党の政治家にしておきさえすれば「二重行政」は起こらないという理屈だが、しかし、かつての大阪は、知事と市長が共に自民党所属でありながら、「仲違い」があり「二重行政」になったと、維新の会は言うのである。だがこれは、論理的に矛盾した主張であろう。
もちろん、どちらも人間であり、それぞれの(知事や市長という)「立場」のある政治家なので、政策的な考えに違いが出て、それがぶつかることもあるだろう。だが、それは、双方が自身の政治的信念に基づいて「善かれ」と思ってやることなのだから、どっちが正しいのかは結果的にしかわからないし、ぶつかること自体が間違いだなどとは、とうてい言えないはずだ。
言い変えれば、知事と大阪市長の考え方が完全に一致している「維新の会」の現在のやり方のほうこそが、知事と市長のどちらかが「自分が責任を持つべき立場」を蔑ろにして「グルになっている」ということを意味するのだ。「ブレーキを取り外した、暴走車」仕様化なのである。
では、「維新の会」としては、府と市のどちらを優先しているのかと言えば、もちろん「府」の方である。
「府」を押さえ、「市」の独立性を奪ってしまえば、大阪は完全に掌握できて、ひとまず自分たちの「意のままにできる」からである。
しかし、この態度は、自分たちの「権力指向」を満足させるためのものであって、自分が分担すべき「選挙民から託された立場に対する責任」を蔑ろにするものでしかない。
知事は大阪府全体のために、大阪市長は大阪市の住民のために働かなければならないのに、松井一郎市長は「維新の会」の政治的目的のために、知事とグルになって、大阪市の住民を犠牲にしようとしているのである。
じっさい、「知事と市長の考え方が違えば、ただちに行政にマイナスである」という考え方は、あまりにも幼稚だ。
前述のとおり、考え方の違う者が、お互いの意見をぶつけあって「切磋琢磨」するからこそ、お互いの欠点が矯められ、一方向に暴走する危険性が、抑制されるのである。
だが、維新の会が「都構想」でやっていることは、まさにこの「危険な暴走」なのだ。
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つまり、「仲違いはダメよ」とか「二重行政は不幸せ(府市合わせ)」だなどという、いかにも「維新の会らしい、キャッチフレーズ」は、現実を無視した「子供だまし」なのである。
大阪市民は、こんな幼稚な「特殊詐欺」に引っかかってはならない。
すぐに「指示どおりに、お金を振り込む(賛成投票する)」のではなく、ひと呼吸おいて、他の意見も聞いてみる。そうすれば「詐欺」にはひっかからない。
いったん、お金を振り込んでしまえば(賛成投票してしまえば)、仮に犯人が捕まっても「お金は返ってこない」(被害は回復されない)という厳しい現実を、くれぐれも肝に銘じておくべきなのである。
初出:2020年10月6日「Amazonレビュー」
(2021年10月15日、管理者により削除)
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