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藤井聡『都構想の真実 「大阪市廃止」が導く日本の没落』 : 育て親である〈大阪市〉を捨てるという選択

書評:藤井聡『都構想の真実 「大阪市廃止」が導く日本の没落』(啓文社書房)

教育者であり、テレビ出演もしている人だけあって、万人にむけた「平易かつ的確な説明」が、じつに見事である。

例えば、維新の会が、「都構想」の必要性を訴える上で最も強調するのが「二重行政の解消」ということだが、この点についても、じつに的確かつわかりやすい、批判的解説を加えている。

確かにかつての大阪では「二重行政」的な問題が、いくらかはあった。しかし、それについての「維新の会のアピール」の仕方は「誇大広告」でしかなかった。
だからこそ、「二重行政のムダ」だと言っていた「大阪府立中央図書館と大阪市立中央図書館」の併存問題についても、今ではそれが「ムダ」ではなく「必要」だと(批判されたから)わかって、統合一元化からは外されてしまった。よく調べもしないで、ウケ狙いの「大ボラ」を吹いたからこそ、その後に、こんな「こっそり修正」が多発しているのである。
また、現在では、「二重行政」問題を解消する方法が、2014年の改正で「地方自治法」に書き込まれており、「二重行政解消のための都構想」の必要性は、すでに無くなっているのである。

このように、「二重行政」問題の実体が失われているにもかかわらず、維新の会が「二重行政、二重行政」と、あいも変わらず連呼するのは、それが「大阪都構想=大阪市の廃止・分割」問題の内容や実態を知らない、知ろうとしない無知な人に対しては「わかりやすいが、誤った幻想」を与えるからに他ならない。よく知らない人には「なんとなく、ありそうだな」と思わせることができるのだ。

だが、そんな「無根拠なイメージ」によって、いったん「大阪市の廃止、分割」がなされてしまえば、大阪市は永遠に失われてしまう。後で「やっぱり、元に戻そう」というわけにはいかないのである。これは「ひき返せない道」なのだ。

〈そもそも日本の行政は「三重行政」を行うのが基本の形〉というユニークな見出しの節で、著者は次のように、じつにわかりやすい説明をしている。

『 ところで以上に述べた行政改革のイメージをより詳しく理解するには、そもそも、市役所というものが何をやっているのかについての知識が必要です。
 そもそも市役所というものは、市民から集めた税金を使って、教育や医療、保健、交通、インフラ、防災などの「行政サービス」なるものを提供する場所です。
 こういう行政は、一般に、「国」「都道府県」「市町村」という3つのレベルで行われているものであり、1人の日本国民は、この3つのレベルの役所(中央政府、県庁、市庁)から様々なサービスを複合的に受けています。だから、行政とはそもそも、すべての地域において「三重行政」なのです。
 ただし、大阪市民にとっては、大阪市という行政組織は最も重要な意味を持ちます。なぜなら、国も大阪府も、大阪市民のことを「だけ」を考える組織なのではなく、国については北海道から沖縄まで、大阪府について言えば堺市や豊中市や能勢町や千早赤阪村のことにも配慮しなければならない組織である一方で、大阪市は大阪市民のこと「だけ」を考える組織だからです。それは例えば、学校の先生より自分の親の方がより大切であったりするのと同じことです。なぜなら、全校生徒のことに気を配らないといけない学校の先生よりも、余所の子よりも自分のことを確実に大切にしてくれる親の方が、より大切だという話と同じです。』(P25〜26)

つまり、大阪市を廃止して、大阪府の下部組織でしかない「4つの特別区」に解体し、税収や行政権を大阪府に献上してしまうというのは、「親(=大阪市)」と「学校の先生(=大阪府)」の二人から面倒を見てもらうのは「二重世話(保護)のムダ」だから、親を捨てて、直接「学校の先生(=大阪府)」のお世話になろう、というのと大差がない、「短絡的な愚行」だということなのだ。

ちなみに著者は、「都構想」の欠点を挙げつらって、満足しているわけではない。
「都構想」がダメ(役に立たないどころか逆効果)なら、「では、落ち目の大阪はどうすればいいのか?」という問いに対する具体的な提案が、本書の第4章である。
否定して終わりでは決してなく、著者は堂々と、より良い「大阪再生計画案」まで示して見せているのである。

初出:2020年10月13日「Amazonレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)

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