主旋律を、見失わないで。
ピアノ弾くときの話をします。
ピアノで何か曲を弾くときって、たくさんある音の中でも「主旋律(メロディライン)」というものを際立たせながら弾かなきゃいけないので、
主旋律の音を弾いている指にとにかく神経というか魂を集中させながら弾く癖がつくように、私は練習しているんですけど。
というのも、ピアノのご経験のあるかたはご存知かと思うのですが、ちょっと複雑な構造の曲とかになってくると、ほんとーーに細心の注意を払って弾かないと、
音の大きくなりやすい伴奏のほうだったり、より高難度の装飾音のほうに曲の主導権や自分の集中力を持っていかれてしまって、肝心のメロディが埋もれて聞こえなくなってしまうとかそういったことが普通に起こってくるのですよね。
個人的な話で、今年の1月から練習をしている曲があり、それがこちらの↓ 私のだいすきな曲なのですが、
ちょうどこれがまた私を試しているのかと思うくらい〝 主旋律を忘れんなよ 〟と常ーーーに主張してくる曲なんですよね。
日本語で『献呈』と名付けられたこの曲は、作者のロベルト・シューマン氏が結婚前夜に最愛の女性に贈ったと言われる歌曲集のなかの第一曲で、
こんにち一般的にピアノで弾かれているのは、シューマン氏の原曲にピアノの魔術師と呼ばれるフランツ・リスト氏がきらびやかなアレンジを施したもの。
『君に捧ぐ』という日本語のサブタイトルがつけられることもあるくらい、聴く分には大変甘美でロマンティックで魔法みたいな曲なのですが、
その美しすぎる(または弾きにくすぎる)分散和音に気を取られていると、弾いている本人が「あれ?今、主旋律どの音?????」ということになりやすいのです。。(だからたくさん練習が必要なのですがね)
そんな練習の日々を過ごしていて、私は思いました。
ああ、これって、“自分を生きる” とか “自分と向き合う” などということをしようと思ったときも、全く同じことが起こっているなと。
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自分自身からの永遠の愛を思い出す自己統合BOX【抱擁】
自分の中の創造主である『内なる自分』を再発見するためのnoteの玉手箱です。 自分を認め受容するために「足すべきもの」など、本来何もない…
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