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ある本の物語

 僕の親はいわゆる転勤族でしょっちゅう引っ越しをしていた。小学校では四回ぐらい引っ越しをし、ほとんど一年ごとに転校している状態だった。同級生との思い出なんかほとんどなく、小学校のクラスメイトから同窓会の誘いは一度もない。中学ではようやく落ち着き中学三年まで同じ中学にいる事が出来た。だがその三年の途中にまた父が転勤することになった。今度は海外らしい。家族や親戚は僕の学校の事について相談した。親戚の叔父さんはもうすぐ高校受験だし多感な時期であるからうちに住まわせようと言ってくれた。しかし両親はこの子はちょっとやんちゃぶりが日本人離れしてるから海外の寄宿学校に行かせたほうがいいと親戚を説得したので、結局僕は両親と一緒に海外に行くことになった。まあ、確かに僕は近所に爆竹を投げつけるぐらいやんちゃぶりが度を越していたが、今となってはかわいいものだ。

 引っ越しが決まり二年以上過ごした中学から去る日が目前に迫ってきていたころ、僕は近所の図書館でそのころ好きだった子がよく読んでいた本を借りた。その子は年の割に結構大人びた純文学をよく読んでいて、この本もその名は言わないが某ノーヘル分楽賞候補作家が大昔に書いた有名なベストセラー小説で、今思えばたわいのないものかもしれないが、中学時代の当時の僕からしたらとんでもないほどドキドキするシーンばかりの本だった。僕は内容そっちのけでそのシーンを穴が開くほど読み、こんなエロ本をどんな気持ちで読んでいるのかと彼女を思って一人興奮しまくった。

 本は引っ越しの前日に返す事にしたのだが、僕は借りていた本の見返しの効き紙のところに彼女の実名を挙げてトンでもないことを書いてしまった。今何を書いたかははっきりと思い出せないが、多分トイレの落書きみたいなものだったと思う。何故そのような事を書いたかというと、彼女がこんなエロ本みたいなものを読んでいた事を知った衝撃と、思春期にありがちな恋愛に対する照れであったと思う。自分の気持ちに素直になれず逆に相手に対してきつく当たってしまうあれだ。とにかくそんな気持ちから効き紙の喉元あたりにマジックで思いっきりトンでもないことを書いてしまったのだ。もしかしたら卑猥な絵まで書いたかもしれない。

 そんなわけで本を返しに図書館に向かったのだが、間の悪いことに建物の入り口の前で中から出てきた彼女に出くわしてしまった。彼女はいつものように僕に声をかけてきて、それから僕が明日引っ越すこのが寂しいと悲しげな声で言った。彼女は絶対に手紙書くからねとも言ってくれた。別れ際に彼女は僕が持っていた例の本を指差してあなたも読んでたの?と聞いてきた。僕はまずいと思って本を隠したが、もう遅すぎる。ああ!あんな落書きを見たら彼女はなんて思うだろうかと思って適当なことを言って逃げようとしたが、彼女は何故か目を潤ませて僕にこう言うとそのまま走って去ってしまった。

「あなたもその本読むんだ……」


 結局父がまた転勤の辞令を受けたので僕の海外滞在は二年ちょいで終わった。だが日本に戻ったはいいものの、また別の土地だった。彼女は引っ越し直後にはしょっちゅう手紙をくれてあのエロ本書いてた作家の新作を送ってくれたりしてくれたが、僕はその作家にはエロ以外なんの興味もなかったので、適当に返事を書いておいた。しかしその手紙もだんだん少なくなり日本に戻ってきた頃には暑中見舞いと年賀状くらいしかやりとりがなくなっていた。それでも彼女の事が好きだった僕は大学は絶対に彼女の近くに行くんだと頑張ってどうにか合格したが、運の悪い事に今度は彼女が海外の大学に進学してしまった。僕はせっかく彼女の地元に来たのにと悔しがったが、もうしょうがない。その後僕は別の人と付き合ったり、別れたりしてそうしているうちにいつの間にか社会人になってしまった。中学の同窓会の誘いの手紙が届いたのはそんな時だった。


 手紙の中に彼女の名前を見た瞬間いきなり懐かしいものが込み上げてきた。年に似合わず大人びた彼女。ただはしゃいでいるだけの同級生を尻目に彼女は長い髪を靡かせていつも小説を読んでいた。彼女は何故か僕にやたら話しかけてくれた。僕は引っ越しの前日に図書館でばったり出くわした日のことを鮮明に覚えている。会えなくなるなんて寂しいと言った時の悲しげな表情と、自分が読んでいた本を僕も読んでいる事を知った時目を潤ませながら呟いたあの言葉。ああ!あのまま引っ越さなければ僕は彼女と付き合っていただろう。もしかしたら今頃は結婚していたかもしれない。結局手紙のやり取りなんて長続きしなくてほぼ自然消滅した僕らの関係だが、それでも彼女の事はいまだに好きだしやはり逢って今の大人になった彼女をみたい気持ちはある。僕は早速手紙に書かれていたメールアドレスに参加希望と送った。

 同窓会の参加者は意外に多かった。この手の集まりは大体リア充連中しか来ないものだが、みんなリア充なのだろうか。僕は社会的にそれなりの地位にいると思うがリア充であるかは微妙だ。付き合っていた女とも別れたばかりだし。そういえば彼女は今どうしているのだろうか。もしかしたら結婚しているのだろうか。彼女はまだ来ないようだ。電車が遅れているらしい。

「お待たせ!」

 としばらくしてから会場に中学時代のあの懐かしい声が響き渡った。彼女だ。僕は声のした方をまっすぐ見つめた。元々大人びていたからか大人にあの頃と全く変わっていないように感じた。彼女もすぐに僕に気づいたのかクラスメイトをの間をぬって僕の元にやってきた。

「お久しぶり。ずいぶんご無沙汰だよね」

 と彼女は快活な声で話しかけてきた。僕も君こそ変わっていないねと切り返す。それから互いの近況報告だ。どうやら彼女にも彼氏はいないらしい。僕はそれを聞いて胸が高まった。あの頃のままに大人になり綺麗になった彼女。彼女はきっとあれからあの本に書いてあるようなエロい事をそれなりにしてきたに違いない。そう思うと妙に興奮する。僕と彼女は同窓会の間中周りを無視してずっと二人で喋りまくった。付き合ってた女とさえこれほど夢中になって話した事はない。僕は話している間、やっぱり彼女こそ自分にとって運命の人なんだと思った。

 同窓会が終わり、彼女と駅まで一緒に行く事になったが、その時彼女がちょっと食事しようかと誘ってきたので駅の近くにあったファミレスに入った。僕らはそこでも思い出話に花を咲かせたが、その際彼女が目を潤ませてふとこんな事を呟いた。

「あなたって全く変わってないよね。ホントにあの頃のままだよ」

 僕は彼女の言葉が嬉しくなって自分も同じように思っている事を伝えた。

「君だってそうさ。すごく綺麗になったのにあの頃のままだよ」

「ありがと。でも変わらないって事は本当にいい事なのかな。人って成長して変わっていくものでしょ?あるいは状況によって変わらざるを得ないものでしょ?なのに私は成長してそれなりの経験をしても心はずっとあの頃のまんまなんだもん」

 僕はこう悩み深げな表情で話す彼女が本当に愛しくなった。それで僕は彼女に言った。

「人間の本質なんて大人になろうが変わらないよ。例え大人になっても思春期に感じた思いをずっと抱えて生きていくものさ。僕はあの頃感じていた思いを今も胸に抱えて生きてる。あの頃伝えられなかった想いをずっと……」

 喋っているうちにいつのまにか話が深い方向に入っていってしまった。彼女は僕のあからさまな言葉に驚いたのか慌ててグラスの水を飲んだ。

「ああ!なんか懐かしくなっちゃったねぇ。そういえば、あなた外国に引っ越しする前図書館で本借りてたよね?」

「小説だろ?確かに借りてたね」

「あの小説私も好きなんだ。あなたがあの本借りてるの見て私意外だなって思ってなんか嬉しくなったの。あの本って純文学だから中学生にしたら結構際どい描写あるじゃない?文学なんてわからないバカな人はエロ小説だって勘違いするくらいに。中学生であの小説わかる人ほとんどいないよね。そんな本をあなたは読んでるんだもん。私あなたがあの本読んでいるの見てわかってくれる人がこんなに近くにいた事を嬉しく思ったの。だけどあなたは引っ越しちゃった。私未だに思ってるんだ。あなたが引っ越さなければあの小説について語り合えたのにって」

「僕もそう思うよ」

 彼女はいきなりあの本の事を言い出したので僕は落書きの事を思い出してドキりとした。だがそれも思春期のいい思い出だ。若気のいたりと鼻で笑える過去だ。僕は生まれてこの方純文学にはまるで縁がなく、それどころか本なんかろくに読まない人間で、彼女の好きなベストセラー小説を読んだのも、ただのロナウドにタオルを振り回させるぐらいのキマグレンだが、それでもあの本に対して彼女と僕をこうして結びつけてくれた事に感謝した。彼女は熱い目で僕を見つめてこう言った。

「ああ!なんか久しぶりにあの小説読みたくなってきちゃった!あなたはあれからあの小説読んでるの?」

「僕もあれから読んでないよ。なんか久しぶりに読みたくなって来ちゃったな」

 僕がそう言うと彼女は笑いながらスマホを取り出して僕にLINEの交換をしないかと言ってきた。僕らはLINEの交換をするとそれからすぐ店を出た。


その後僕らは駅で別れ、それからの毎日LINEでやり取りをしていたのだが、ある日彼女から突然すぐに例のファミレスに来いというLINEがきた。僕はひょっとして正式に付き合いたいという告白なのかと思い嬉しくなると同時に、こういう事は本来男である僕が言うべき事と反省もした。しかし何故あのファミレス。告白ならもっといい場所があるだろうに。だが僕は嬉しかった。嬉しいあまり当日は十五万するスーツを着込んでファミレスに向かった。ファミレスの中に入って奥のテーブル席に行くとそこに異様に厳しい表情の彼女が座っていた。僕は彼女が緊張しているのかと思い笑顔で話しかけたが、彼女は黙って座れと椅子を指差した。僕はなんだがさかわからずとりあえず座ると、彼女はすぐさまバッグからコーティングされた古い本をテーブルに出した。その本を見た瞬間僕は思わず大きな声を上げた。彼女が持っていたのはなんと僕が落書きしたあの図書館の本だったからである。あの本まだ図書館にあったのか!とっくに廃棄処分されているのかと思っていた。しかしなんで彼女はわざわざ図書館で借りて読むんだよ!自分で持ってるんじゃなかったのか?慌てふためく僕に向かって彼女はゆっくり本を開き見返しの効き紙の喉元の部分の落書きを指差してこう言った。

「LINEでも言ったけど私また小説読みたくなったから昨日この本図書館から借りて来たのよ。で、読む前に本を広げたらこんなのがあって。あの……これ何?これって明らかにあなたの字よね?」

 そこには太字のマジックで下手糞なペニスイラストが描かれ、その脇にこんな事が書かれていた。

『〇〇○子!こんなエロ小説読んでお前はホントにエロい女だな。グヘヘヘヘ!お前がどんなにエロいか俺さまがこの肉棒を使って無理矢理わからせてやるぜ!』

「どういうこと?この本読みながらこんなろくでもない事考えていたわけ?大体あなたこの本ちゃんと読んでるの?」

「勿論読んでいるさ。嘘じゃない。だけど当時は中学生だったから内容なんてわからなかったんだ!」

「わからない?そんな理由だけでどうして人の名前挙げて対してこんな酷い事が書けたものね!あなた私に対してずっとこんな事をしたいって思っていたの?」

「いや、思っていない!ただのイタズラみたいなもんだよ。思春期っそういうものだろ?たとえもし当時そこに書いてあるような事を俺が本気で思っていたとしてもそれは思春期ゆえの過ちだよ!俺たちはそういう若さゆえの過ちを犯しながら大人へとなっていくんじゃないか!人間は大人になって変わるものなんだよ!」

 僕はもう無我夢中で必死に自己弁護した。あの落書きは僕の本意じゃない。たとえ本意だったとしてもそれは昔の話。今の僕は全く違う人間だと彼女にわからせようとした。だが彼女は僕の言葉に納得せずこちらを睨みつけて言い返してきた。

「本意じゃない?本意じゃないのに人の名前挙げてわざわざこんな酷いこと書くかしら?あなたわかってるの?あなたがこの落書きしてからずっと私の名前が晒されていたのよ!それに対してあなたはどう思っているのよ!あと、人間は大人になって変わる?あなたこの間と言ってる事まるで違うじゃない。この間あなた大人になっても人間の本質は変わらないって言ってたじゃない!あなたは中学時代からずっと私にあんな事しようと考えていたんだわ!ああ!こんな人間以下の犯罪者をよくもずっと好きでいられたもんだわ!この鬼畜め!人を散々侮辱しやがって!」

「違うんだ!それもこれも全部違うんだ!」

「何が違うんだこのケダモノ!今すぐに自分がどんだけ酷いことしていたかわからせてやるわ!」

 


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