フォルテシモ&ロマンティック協奏曲 第十二回:両雄愛並び立たず
記者会見を終えた大振と諸般はその日のうちに東京へ戻った。もはや一国の猶予もならぬ。早く自分たちのピアノ協奏曲を作り上げなければならない。大振は成田で諸般を出迎える前にすでに協奏曲を仕上げていた。しかしそれはあくまで諸般への憎悪のみによって作られたものであった。だからもうそんなものは捨てて一から作らねばならぬ。ああ!この諸般と一緒に!今の大振は心から諸般との共作を望んでいた。天才大振拓人が他人と分かち合いたいと願ったのは初めての事であった。神の如く自分以外を見下していた大振。だが心のどこかで密かに友を求めていたのだ。今その友は後部座席の隣で寝そべっている。ああ!早く東京へ、東京へ行ってこの最愛の友と芸術を分かちあい最高の作品を仕上げねばならぬ。大振と諸般を乗せた車は後から騎馬隊のようについてくるマスコミの車を振り切って翼を広げるが如く鮮やかにフォルテシモタクトプロダクションのビルの地下駐車場へと入って行った。社員達が車の前に勢ぞろいして自分を出迎えているのを見て大振はまだ眠りについていた諸般の肩を叩いた。諸般は目を覚ましうつろな目で大振を見た。の諸般に向かって大振は言った。
「さぁ、今から俺と一緒にフォルテシモホールに行こう。そこで作り上げるのだ。俺たちの最高傑作を!」
しかし大振と諸般の共作は手を付け始めた途端暗礁に乗り上げてしまった。理由はありがちな話だが、二人の芸術家としてのプライドが原因である。芸術家という人種は芸術こそが全てである。芸術を愛し、芸術を生み、芸術と共に生きる者たちである。だから普段どれほど仲のよい友人同士でも、いざ共作を始めたたら、途端に仲間割れする事が良くある。真の芸術家は妥協というものを知らない。たとえそれで自分たちの友情が壊れたとしても、そして相手の命さえ奪ったとしても、それでも芸術家は己が芸術のためにエゴを貫くのである。
魂よりも遥かに深く結ばれた大振と諸般もまた、己がエゴをむき出しにして互いの芸術をかけて言い争っていた。
「諸般!貴様は何度言ったらわかるのだ!ここはオーケストラでフォルテシモしなくちゃならんのだ!それをピアノでロマンティックに廻されたら曲は甘ったるさで崩壊してしまうではないか!」
「タクト!何を言っているんだい!この部分はサーキュレーターで靡く僕のの髪のようなロマンティックなピアノがベストなんだ!君の激しく怒張するフォルテシモなオーケストラじゃ固すぎて曲としてとても成り立たないよ!」
二人はこうして共作を始めてから互いの芸術観に深刻な相違がある事を徹底的に思い知らされた。世間では同じロマンを信奉すると云われる二人であるが、その二人のスタイルは甚だしく相違していた。それは二人とも最初からわかっていた。だが、二人は共にロマン派を信奉し、それぞれフォルテシモな指揮や、ロマンティックなピアノで己がロマンを最大限に表現していた。そして何よりも二人は互いにまるで兄弟が夫婦のような強い絆で結ばれ、その絆の力で価値観の相違など乗り越えるどころかむしろそれが合わさった相乗効果で驚くべき傑作が生まれるのではないかと思っていた。しかしいざ共に創作を始めた途端、二人は自分と相手の芸術家としての核の部分そのものが相容れないものである事に気づいてしまったのである。大振と諸般はそれぞれ自分と相手が書き上げた楽譜を見比べてゾッとしたのだった。共作は間違いなく失敗すると。
大振と諸般の共作を巡っての争いは激しすぎる言い争いと、愁嘆場の後の一時的な仲直りを何度も繰り返し、ついに決定的な決裂へと至ってしまった。二人はもはやフォルテシモホールで顔を合わせることがなくなり、それぞれ自分が演奏するプログラム曲の練習をするようになった。諸般は大振への友情などすっかり忘れ切ったが如く閉め切ったホールで一人ただリストのピアノソナタをロランティックのかけらもなく弾き、大振に至っては元々避けていたドヴォルザークの演奏を決裂した諸般のために演奏することを憤然と拒否し、代わりに諸般への当てつけか、自ら編曲したショパンの『葬送行進曲』のオーケストラ版をフォルテシモタクト・オーケストラに演奏させる始末であった。
この二人の決裂の噂はコンサートの関係者の間に瞬く間に広がってしまった。コンサートを主宰するレコード会社のイベント担当は真偽を確かめるために何度も大振の事務所を訪ねたが、警備員がわんさかやって来て面会謝絶だと言われて追い出された。もうコンサートの正式発表までいくらもない。武道館はとっくに抑えたし、チケットの販売のために準備も済ましてある。そして今回のコンサートのためにわざわざ来日する各国首脳と財界人のために宿泊施設の手配をかけている所だ。そんな状況でコンサート自体が中止になったら。ああ!なぜなのだ!記者会見の席であれだけイチャイチャしていたのに。男も女も七色の愛に旅立とうとしている二人を祝福していたのに。どうして突然決裂などしたのだ!ああ!このイベントを成功させたら自分は間違いなく取締役に昇進できたのに!もう終わりだとイベント担当は頭を抱え込んだ。しかしその時例のあのプロモーターがひょっこりと目の前に現れたのである。
「ゲヘヘヘ、そろそろ私の出番かと思いましてね。お困りごとはなんですか?よかったら私が忽ちのうちに解決してあげましょう」
「何が解決してあげましょうだ!今までどこをほっつき歩いていたんだ。大振と諸般が失踪した時から何度もあんたに連絡したのに!」
「ほっつき歩いていたとはなんと人聞きの悪い。私はあなた方からいただいた金で借金を全てチャラにしようと固く決意してラスベガスに向かったんですよ。だけど私の計画は悪の天才ギャンブラーが仕組んだ罠にはめられて見事崩壊してしまったのです。結局私は有り金全部掏って借金を増やしただけでした。というわけで私は今すぐにでも金が欲しいのです。どうせ大振と諸般のことでしょ?アメリカでも二人は大きく取り上げられていましたからね。やはり二人は結ばれるべくして結ばれた音楽の兄弟。その二人のコンサートはきっと全世界中の人々を驚愕させるものになるでしょう!その二十一世紀の奇跡となろうコンサートは絶対に行わねばならない!」
「やかましい!今はアンタのくだらんおしゃべりに付き合ってる暇なんかないんだ!何がギャンブルで金を掏っただ!全くしょうもない!」
「何を言うか!黙るのはあなた方だ!寄りにもよって大振を救った恩人の私を怒鳴りつけるとは!恩人の話は最後までありがたく拝聴するのが礼儀であろう!で、困りごとはなんだんだ!さっさと言わんか!」
「これは申し訳ない。じゃあお言葉に甘えて言わせてもらいますよ!実はアンタの大振と諸般が喧嘩して決別してしまったって噂が流れてるんですよ。我々も最近それを知って大振と諸般に何度もコンタクトを取ろうとしているんですが、全く取れない状態でどうやら噂が真実だって確信しましたよ。だけどこのままコンサートがご破算になったら俺はどうしたらいいんでしょうか。せっかく取締役への道が開かれたと思ったのに、もう完全に首じゃないですか!」
「バカ者が!」とプロモーターは部屋が震えるほどの声でイベント担当を一喝した。
「お前はこんな事態になってもま~だ自分の出世が大事か!そんな事だからあの二人が喧嘩別れ死してしまった事にさえ気づけないんだ!いいか!あの二人は天才なんだ!天才って人種は我々のような凡人とまるで違う存在なんだ!だから我々が大したことのないと思っている事でさえ、天才たちは互いに譲らず相手どころか自分さえも傷つけかねないまでに激しく争うのだ!このあきれ果てたバカどもが!さっさと俺にラスベガスの借金分の小切手持ってこい!それで二人を仲直りさせてやるから!」
非常に鋭い指摘と畳み掛けるような多額の金額のおねだりコンボにレコード会社のイベント担当はまたもや転がってしまった。彼はその場で幹部連中に泣きつきプロモーターの借金分の金額を引き出すことに成功した。もうこのコンサートを実現させるためだったら、詐欺師にだって魂を売ってやる。そんなやけくそ状態でプロモーターにお金と共に全てを託してしまったのである。
イベント担当は小切手を貰うとすぐさまフォルテシモタクトプロダクションのビルへと駆けた。もう一刻の猶予もなかった。大振と諸般を救うために駆け付けなければならなかった。それは大振と諸般のためだけではない。コンサートに関わったすべての人々のためであり、二人のコンサートを待つファンのためであり、何よりも自分の命のためであった。ラスベガスで散々むしられた金。それを返すためにいろんな所から拵えた借金。昨日きた最終通告『はやく返さないとFBIと日本警察に訴えるよ』。大振ファンに混じって出待ちしている自分のコスプレをした男たち。ああ!もう早くしないと俺は破滅だ!
地下の静まり返ったフォルテシモホールの中央に備えられたテーブルの両側に大振と諸般が向かい合わせに座っていた。二人とも深刻な顔で俯き、その二人の前には一枚の紙があった。その二人の周りをオーケストラの面々と事務所のスタッフたちが囲んでいる。ホールにはすすり泣きの声がそこら中から聞こえた。きっと泣いているのは大振と諸般を囲んで立っているだれかだろう。大振と諸般は同時に顔を上げた。
「もう、俺たちは終わりだ。金は融通してやるから早くアメリカに帰るがいい。あとは俺が全て責任を持つ」
「タクト、君の申し出はありがたいけど、それは受け取れないよ。僕は一人で帰るさ。君と過ごした時間は短かったけどとても有意義なものだった。君の活躍を神に祈るよ」
この諸般の言葉を聞いた大振は憮然とした顔でテーブルの上の紙を諸般に突き出した。
「ならば、さっさとそれにサインをせんか!」
「君はホントにせっかちだね。言われなくたって書くさ」
この二人の別れにオーケストラの面々はたまらず号泣した。諸般と練習をしたのはほんの短い間だったけどその間大振は奇跡的に優しかった。だけど今諸般に去られたらまた昔の暴虐皇帝の大振拓人に戻ってしまう。しかしそれよりも彼らは大振の事を思った。せっかくまともに友達、いやそれ以上の関係と呼べる人間と出会えたのにこんなにあっけなくそれが失われてしまうなんて。ああ!何事もなくコンサートが開かれたら二人はどんな演奏をしていただろう。だがそうそれは望むべくもないのだ。
諸般は手元のケースから駕ペンを取り出した。そして大振を見た。大振はさっきと変わらず憮然とした顔だったが、少し表情が震えているようだった。諸般はこれで今生の別れだと駕ペンを握りしめ自分の名前をサインしようとした。しかしその瞬間どこからかそれにサインしてはならぬという天からの声が聞こえてきたのである。諸般は手を止めて大振を見た。しかし大振もまた天からの声に驚いているらしくキョロキョロとあたりを見回している。
「おい、警備はどうなっているのだ!外部のものは一匹たりとも入れてはならぬ。もし見つけたら人間も含めて生物はすべて殺処分しろとあれほど言いつけておいたではないか!」
大振はそう周りの人間を怒鳴りつけながら必死に侵入者を探した。この俺の神聖なるホールに入ってきた無礼者。この俺自身がフォルテシモに打ち殺してくれる。
「ああ!あの人は!」
と、突然諸般が叫んだ。大振は不法侵入者をとっちめてやろうとして指揮棒をフェンシングのサーベルに変えて振り向いた。
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