見出し画像

優しいあの人が盗人になってしまうまで|アイデンティティ探し

ペルーに住んでいたころの話です。当時住んでいたマンションにはダニエルさん(仮名)というレセプショニストの方がいらっしゃいました。私たち兄弟に会うともいつも優しく挨拶してくれて、子供が大好きでよくお菓子をくれたり、自分の子供の写真を見せてくれたりしていました。レセプショニストの方は他にもいて、皆さん優しかったですがダニエルさんは特段フレンドリーで明るくてひまわりのような方でした🌻

ダニエルさんは首都リマから車で4~5時間程かかるイカ(Ica)という地域出身でご家族もそこに暮らしていました。イカは砂漠地帯の都市で、ナスカの地上絵(Líneas de Nazca)が位置している地域であり、ピスコ(Pisco)と呼ばれるペルーを代表するブドウ蒸留酒の産地です。また、赤道直下でありながらフンボルト海流という寒流の影響で、野生のアザラシやペンギンを見ることができるバジェスタス島(Islas Ballestas)のあるパラカス(Paracas)という場所もあって、砂漠地帯でありながら様々な海洋動物にも会える不思議なエリアでした。

ある日しばらくダニエルさんの姿が見えなくなり、再び見かけるようになると手作りのチラシを住人に配り始めていました。その内容は奥様がガンになり、入院するためのお金が足りず、そのための寄付金を募るものでした。そのチラシにひまわり🌻のイラストが描かれていたのを私は忘れません。

ペルーでは日本と違って医療費が高額であり、さらに賃金格差がある中でダニエルさんのご家庭では入院費用を支払えない、という事実を知ってショックでした。

当時小学生だった私の頭の中には様々な疑問が湧きました。


  • もし奥様が入院できなかったらどうなるんだろう

  • 入院できなかったら治療を受けることなく亡くなってしまうのだろうか

  • 残されたお子さんはどうなってしまうんだろう

  • お金を渡さないことは見て見ぬふりをすることになるのだろうか

  • お金を渡さないことは命を見捨てることになるのだろうか



両親に「ねえ、うちからもお金を寄付してあげるんだよね?」と聞くと、「うちからは渡せない、こういうときに渡してしまうのはお互いに良くないんだ」という回答が返ってきてますますショックな気持ちになりました。ダニエルさんの奥様の命を見捨てることを選んだのか・・・という解釈をしてしまっていたからです。子供だったので複雑な大人の事情も分からなかったし、分かりようもなく、だからこそ単純に自分の無力さに悲しみと虚しさを感じていました。

当時のペルーでは例えば車で信号待ちをしていると必ずのように子供や老人がボロボロの服で顔も汚れがついた状態で車の窓をコンコンと叩いてお金を乞いにくるのが普通の光景でした。

そこでも両親は一度も窓を開けてお金を渡したことはありませんでしたが、その理由は子供の自分でも辛うじて理解できていました。ここでお金を彼らに渡してしまうと、「お金を乞うビジネス」が成り立ってしまい、お金をもらいに行く役になる子供たちはこの仕事から解放されることはなくなってしまうからです。もし、この目の前の子のために・・・とお金を渡したとしても、必ず裏ボスの大人がその子たちからお金を取り上げる構図だったからです。

そういった社会で暮らしていたからこそ、両親がダニエルさんに対してもお金を渡さない選択をせざるを得なかった気持ちを今では理解できます。「奥様がガンになった」というのも、もしかしたら嘘かもしれない・・・そういった手口で裏ボスがお金を巻き上げるシステムの中にダニエルさんがいたとしたら、それはダニエルさんのためにも社会のためにもならない、という考え方からきていたのかなと。加えて、その選択に正解も不正解もないことも今は理解しています。

チラシを配って奥様がガンだと公表してからも、ダニエルさんはこれまでと変わらず明るくておおらかなダニエルさんでした。一体どれくらい寄付金が集まったんだろうか・・・ダニエルさんに会ってその様子を見る度に心の中でそう考えていました。

「ダニエルさんの奥さんが本当はガンじゃないなんてことあるわけがない!」と思っていたからこそ、ずーっと心配でした。

ある日、事件は起こりました。またダニエルさんを見かけない日が続いて、他のレセプショニストさんに様子を聞いてみたら「彼、盗んでしまったんだよ」と返事が。

住んでいたマンションは2棟あったのですが、どうやら私たちが住んでいた方ではない棟の最上階の部屋に侵入していたところ、帰宅した住人と鉢合わせしてしまったそうです。

本当に奥様を助けたい一心だったんだな・・・とその時の私は再び深いショックの気持ちを抱きました。


  • もし寄付をすることができていたら、ダニエルさんは犯罪を犯さずに済んだのかもしれない

  • 捕まってしまったらレセプションで働けなくなってしまう、そのリスクを負ってでも奥様を助けたかったんだ

  • ダニエルさんが捕まってしまって、入院できない奥様も亡くなってしまったら、子供たちはどうなるんだろう

  • どうして必要な人にお金は届かないんだろう


盗まない方法で奥様を助けたくてチラシを作って勇気を出して寄付金を募ったダニエルさん、そして、どんな時でも明るくて、子供好きで優しいダニエルさんが、犯罪に手を染めてしまった事実。別の棟を選んだのはもしかしたらいつも挨拶し合っている住人たちに引き目を感じていたからかもしれないし・・・と、ダニエルさんの気持ちを止めどなく想像して、どんどん悲しい気持ちになっていきました。

当時の出来事を俯瞰して振り返ると、きっとダニエルさんのアイデンティティは変わっていないんです。

盗みという行動をしたとしても、その心底には「愛する妻を助けたい」という思いがあったと思うから。お金を誰かからもらったら寄付という表現になり、許可なくもらおうとしたら盗みを働くという表現になるだけで、その行動を悪とみるか善とみるかはどの立ち位置に自分が立っているかによるのではないかと思います。その上で、私はダニエルさんの善のアイデンティティを信じて、その記憶を頭の中に大切にしまっておきたいです。

そして、助けられなかったと罪悪感を感じていた当時の幼い自分には、あくまでダニエルさんの根っこの部分はそのままであって、自分が何もできなかったからダニエルさんのアイデンティティの何か失われたわけではなくて、それはそのまま在り続けてるから大丈夫だよと伝えたいです。



「ライフキャリアコーチへの軌跡」と「アイデンティティ探し」を現在noteで執筆中です。下記よりぜひご覧ください!

NLPやキャリアコンサルタントの学びの中での気づきをアウトプットした内容も発信しています。こちらも覗いていただけたら嬉しいです♪




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?