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強くなりたい #創作大賞 2024

 あの日に戻りたいなもし。

 狭い部屋にひとりこもって原稿の誤りを探していると、ふいにそんな気持ちに襲われることがある。まあ生きていれば誰でも、生後120か月頃までに一度や二度、思うことだろう(DA.YO.NE?)。特に襲われるのは、ニュースでスタジアムの大歓声に包まれる大谷翔平の姿を見たときだ。理由は、一芸に秀でることができなかった自分に一度だけ訪れた〈小歓声に包まれた瞬間〉を思い出すからだ。

 あれは確か小5のときの学級会のこと。班ごとの清掃場所をジャンケンで決めることになり、人気のない「トイレ」と「廊下」が残った状況で、オイラの班ともう1つの班が勝負することになった。みんなトイレは担当したくないので、勝った班が廊下の担当になり、負けた班はトイレの担当になる勝負。みんな絶対に負けたくなかった。
 さっそく同じ班の子6人で集まって対戦順を相談する。結果、なぜかオイラが最後の番になってしまった。「ぼくはジャンケン強くないよー。同点で順番が回ってきたら責任重大じゃんかよー」と言おうとしたが、そんなことにはお構いなしで対戦が始まった。勝負は一進一退のまま、けっきょく最後のオイラに、なんとまあ5勝5敗の同点で順番がまわって来てしまった。
「絶対、勝てよー!」
「古鳥くん、がんばってー!」
同じ班の子らの応援が聞こえる。
「負けるな負けるな!」
「勝てる勝てる!」
対戦相手の班の子も大声で仲間を応援する。教室の端っこ六分の一の場所だけが、明らかにいつもと違う熱を発している。
「ここで勝てばみんなが喜んでくれる。負ければガッカリさせることになる。みんなの期待に応えたい! 神様おねがい、勝たせて!」
頭の中でそう言い終わるやいなや「最後の勝負だよー」という声が聞こえた。オイラの指で勝敗が決まる、大事な勝負。2つの班以外の子たちは同じ教室のなかでこんな激闘が繰り広げられているとも知らず、くっちゃべっている。オイラと対戦相手の子の周りだけがピタッと静まり返る。
「最初はグー、ジャンケンぽん!」
右手のグーから人差し指と中指を弾き出す。チョキだ。相手は・・・、パーだった。
「やったー!!!」
「キャー!!!」
「あ~あ」
教室中に歓びと落胆の混ざった声が響く。同じ班の子たちが手をパチパチ叩きながら「ナミオっち、よくやったー!」と大声で叫んでいる、A君が椅子の上に立ってガッツポーズをしている、B君は「奇跡だー!」と叫んでいる。オイラも興奮して「勝てたよー、信じらんない!」と言おうとしたが、息がつっかえてちゃんと言えなかった。
 自分が勝ったことを、同じ班の子たちがあんなに喜んでいる。この対決があるまで、そんなことは一度だってなかったから「うわぁぁぁぁ」と驚いた。でも、うれしかった。そして、そんなみんなの姿を見ながら、心の中で「神様、ありがとう」と言った。

 あの時みたいな瞬間を、その後の人生で味わったことはない。きっとこの先の未来にあんな、ろれつが回らなくなるほどの嬉しい瞬間はやって来ないだろう。そう思うと目頭が熱くなるけれど、そもそも腹をカチ割って話せる友人もいないし、ここ何十年も、あのときその場にいたのと同じくらいの人数が集まる場所に行ったことがないのだから当然だ。
 だが、それでも大勢の人の歓声を浴びたいと思うのだとしたら、それはまだ自分の心の中に「ヒーローになりたい」「ミッキーマウスになりたい」という願望が残っているのだろう。しかし、そういう願望は〈いつでも他者の期待に応えるために行動する〉方へ自らを誘導する要因になりかねない。そんな負荷に自分は耐えることができるのか? んー、できん(SO.YA.NA…)。

 みんな違う幸せを生きているんだもんシロチョウ! だから、大勢の人に歓ばれなかったとしてもさぁ、認められなかったとしてもさぁ、オイラはこうして部屋にこもってニヤニヤしながら自由に文章を創っているのがいい。それに、人生には「駆け落ち」や「有休消化」のように、大勢の期待に応えることよりも「自分のこころを偽らない」ことが決定的に重要になる局面があるんだってことも、知ってる(去年、知ったんよ)。

 そういう訳で近頃は、成功者と呼ばれる人を見て「ヒーローになりたい」と思いそうになると「自分のなすべきことや実年齢(!)を見失うなよ」と言い聞かせている。しかも、そのためのモットー「隣の芝生を見ない」という言葉まで考えた。「隣の『ゆがふ』は美味い」に似た、あの有名な「隣の芝生は青い」が元ネタだ。これは「他人の暮らしを見れば自分の暮らしとの比較が始まり、比較が始まれば心の乱高下が始まる」という宇宙の絶対的な法則から「ならば最初から他人の暮らしを見なければいいじゃんね」と考え、生み出した返し技である。
 噛みしだいて言えば、

「人の豪邸を見ない」
「人のポルシェを見ない」
「人のユニフォーム姿を見ない」
「人のホームランを見ない」
「人の引っ越し先を見ない」
「人のデコピンを見ない」

ということである。一見むずいと思われるかもしれないが、んなこたぁない。自分の隣りにあるすべてのものから目を背ければいいのだ(「すべてのもの」って、これ「大谷翔平」そのものじゃん!)。

 ああ~果てしない承認欲求に負けない強い心が欲しい~。みんなに拍手をしてもらえなくても、かまわず己(おんどれ)の道をまっすぐら(「まっすぐ」と「まっしぐら」の合体語ね)に突き進むことのできる鋼鉄メンタルが欲しい~。あと100年分アンチエイジングできたらなぁ、アスリートとして大歓声を浴びるのを目標にしたんだけどなぁ、そこからまたエイジングするのが受け入れられないのよねぇ。だから、その可能性はまーったくない。
 ただ叶うならば、三途の川をジャンプして渡る(濡れたくないもん)日までにもう一度、あの日に戻ったかのような時間を味わってみたい。実現できるかどうかは分からないけれど、まぁ、とりあえず来年から手の指の関節ストレッチや筋力アップの方法、それに読心術を学ぶ予定だ。体系的にジャンケンのクリニック・・・テクニックを学ぶのである。この先の人生のどこかで、大谷翔平とジャンケン勝負をする局面があるやもしれぬ。フランスの細菌学者、パスツールもこう残している。 
 
  幸運の女神は準備されたところにまかりこす
 
 まかりこす!



 


Ⓒ2024  Namio Kotori


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