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自分が好き、ですか?

生きづらい人は、自分を嫌ってしまった人です。

言い換えると、生きづらさ、とは、自分を嫌っている、ということです。

生きづらさを抱えておらず、軽やかな心持ちで人生を歩む人もいます。


人には、それぞれ個性があります。
欠点もあれば長所もあります。

自分を嫌っている人は、自分の個性を、嫌いな自分の構成要素と捉えるのですから、

個性という個性が短所に思えてしまいます。

たとえば、仕事のことで、同僚から反対意見をぶつけられた時に、
同僚の勢いに押されて、少しの反論も出来なかった、とします。

軽やかな心持ちの人なら、

自分は争い事が嫌いだし、あそこで反論したら、ケンカになっただろう。
このことでは、意見が別れたけど、必要なら冷静な時に、また話し合えばいい。

と考えます。

生きづらさを抱える人は、

どうして自分はいつもこうなんだ。
意気地が無くて、ダメな奴だ。
悔しい、腹が立つ。


軽やかな心持ちの人は、そもそも自分に対する安心感があります。
自分には価値が有る、という感覚があります。

だから、自分が好き、です。
その、好きな自分、の構成要素を長所として捉える心の構えがあります。

争いを好まない自分の中に、優しさという長所を見つけます。


生きづらさを抱える人は、自分に対する安心感がありません。
自分は無価値だという思い込みがあります。

自分が嫌い、です。
嫌いな自分の構成要素は短所にしか思えません。

そして、同僚から反対意見をぶつけられたことは、

軽やかに生きている人にとっては、職場での出来事、に過ぎないのですが、

生きづらさを抱える人は、もともと心の中の自己評価は、無価値、なのですから、

出来事は単なる出来事に終わらず、自分の無価値を裏付ける証拠になってしまいます。

外で起こった出来事に、自分の存在価値、が、たちまちのうちに脅かされてしまいます。

同じ出来事があっても、自分を好きな人と、自分を嫌っている人とでは、

見る世界も、棲む世界も、全く異なっているのです。

明と暗、光りと影、ポジティブとネガティブは、背中合わせの一対になっています。

どちらの世界線を生きるかは、

自分を好きか、嫌いか、に依るのです。

好きなら、軽やかな世界、
嫌えば、生きづらい世界に身を置きます。

生きづらさを手放す道程は、

自分の尊さに気づき、

自分を好きになる道のり、と言えます。

たったそれだけの、

とても大切なこと、なのです。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム



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