この子の羽根と翼
その子にとっての翼は、純粋な興味、関心、好奇心です。
その子が、夢や希望を持てるのも、
その子が、愛に気づくのも、やがて勇気を持てるのも、
自由に羽ばたける翼があるから、です。
翼が純粋な好奇心で出来ているなら、その翼をびっしりと覆い、美しく飾る一枚一枚の羽根は、
その子に湧き上がる、自然な感情、です。
その子は、湧き上がる感情を、親鳥から肯定的に受け容れられる度に、その小さな翼に一枚一枚羽根を付けることが出来ます。
親子関係という安心、安全の巣で、
やがて羽ばたき巣立つまで、
肯定的に感情を受け容れられることで、一枚一枚の羽根をつけ、
尊重されることで翼を育み、
健やかに伸びやかに、すくすくと育ちます。
ところが、親鳥の心が未熟で、心に無価値感を抱えていると、
巣に安心と安全はありません。
雛の自然に湧き上がる感情を、ことごとく否定し、拒絶します。
心が未熟な親鳥は、雛に愛情を注ぐことが出来ません。
逆に親鳥を慕う雛を、どんな要求でも受け容れる絶対服従の存在と見做し、
親鳥の感情を押し付け、雛に自然に湧き上がる感情を捨てさせます。
雛は親鳥の感情を受け容れる為に、自然に湧き上がる感情という羽根を次々と捨て去ります。
感情という羽根を失った雛は、当然、純粋な興味、関心、好奇心を育てることが出来ません。
興味、関心、好奇心は、安心と安全に抱かれる環境があって初めて育ちますが、
巣には安心も安全もありません。
巣にあるのは不安と危険なのです。
活き活きとした感情があって初めて、興味、関心、好奇心は育ちますが、
親鳥がこぼした感情を、拾い集めることに必死な雛は、湧き上がる感情を放ったらかしにするしかありません。
安心、安全の無い場所に翼は育たないのです。
羽根の無い、発育不良な小さな翼では、
雛は飛ぶことが出来ません。
巣立つことが出来ないのです。
そもそも、心が未熟な親鳥は、雛を尊重することも、慮ることも出来ません。
それが出来るぐらいなら、羽根をむしる様なことは最初からする訳もありません。
親鳥は雛に愛情を注いでいるつもりですが雛の巣立ちを、親鳥を見捨てること、と解釈します。
親鳥は与えるつもりで奪い、
守るつもりで傷つけます。
親鳥は、巣立ちの時期を迎えた雛に、翼が小さいこと、羽根が無いこと、羽ばたいても飛べないことを、冷やかしたり、叱ったりします。
雛の翼が育っていないのも、羽根が備わっていないのも、
その結果、飛ぶことが出来ず、巣立てないのも、
雛に責任は無く、巣立つまでのことの大半は、親鳥の心に原因があります。
親鳥が肯定すること、尊重することを知らないままに、雛に接したことが、根本の原因と言えます。
結果、雛は若鳥になれない、のです。
飛ぶことを運命としてこの世に生まれ落ちた雛に、羽根をつけることを許さず、
翼を育てることも許さず、
運命に沿って生きることが叶わない雛が、生きづらくない筈が無い、と思うのです。
子育てに正解など無く、親は至らなかったり、踏み越えたり、失敗するのは当たり前です。
躓いても、ぶつかっても、構わないと思います。
子を一個の人間として尊重し、
感情という羽根をむしり取らず、
好奇心という翼を手折らない、
その思いだけ、
見失わずにいて欲しく思います。
きっと雛は、巣立ちの時、
大空へと羽ばたきます。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム
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