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記事一覧

ドストエフスキー『罪と罰』

『なんでおれは馬鹿な真似をしたもんだ』と彼は考えた。『彼らにはソーニャというものがいる。ところが、おれ自身困っているのじゃないか』けれど、今さら取り返すわけにも行かないし、またそんなことはともかくとして、けっきょくとり返しなどしやしないのだ――こう思って、彼はどうだっていいというように手を一振りし、自分の住まいへ足を向けた。『ソーニャだってポマードがいるっていうんだからな』彼は通りを歩きながら、毒

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ニーチェ『愉しい学問』

第二版への序文  四

 最後に、最も本質的なことを言わないままでいるわけにはいかない。ひとは、そのような数々の深淵から、そのような重い長患いから、ひいては重い疑惑の長患いから、新しく生まれてふたたび立ち戻ってくる。脱皮して、いっそう敏感になり、いっそう意地悪になり、悦びを好む趣味の上品さが増し、一切の慶事をより繊細に味わえるようになり、いっそう快活な感覚をそなえ、悦びにおけるいっそう危険な第二の

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W.ジェイムズ『宗教的経験の諸相』

原著序 もし私が光栄にもエディンバラ大学における自然宗教に関するギフォード講座の講師に指名されることがなかったら、この書物はけっして書かれなかったであろう。指名を受けて私はそれぞれ十回の講義からなる二課程の講義を果たす責任を負うことになったが、その講義の主題について思案をめぐらした結果、第一の課程は「人間の宗教的欲求」に関する記述的なもの、第二の課程は「哲学による宗教的欲求の満足」に関する形而上学

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シュペングラー『西洋の没落』

序 自分はつけ加えておいた。これは最初の試みであるから、どうしてもそれに伴うあらゆる欠点があり、不完全であって、内的矛盾のあるのはもちろんであると。この言葉は、考えていたほど真面目には受け取られなかった。誰でも、生きた思想の前提を深く見極める時には、現存在の根本的な原理を矛盾なしに洞察することが、われわれにはできないということを知るだろう。思想家とは、自分の直感と理解とによって、時代を象徴的に示す

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トルストイ『要約福音書』

緒言 予はまた、各章の冒頭において、内容の簡単な定義以外、キリストが弟子達に教えた祈りの中で、各章に適応した言葉をも抜粋して置いた。
 自分の仕事を終わるに当って、予の驚きかつ喜んだのは、主の祈りが、予の配列した各章の順序と全く同一の順序で、最も緊縮されたる形式でキリストの全教義を言い現わしたものに外ならないことと、祈りの一句一句が各章の意味と順序とにぴたりと適合していることとを見出したことであっ

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ノーマン・マルコム『ウィトゲンシュタイン──天才哲学者の思い出』

第一部 回想のウィトゲンシュタイン──ノーマン・マルコム1──真理の狩人

   出会い
 私がウィトゲンシュタインをはじめて見たのは、一九三八年の秋学期、私のケンブリッジ大学での最初の学期だった。倫理学研究会の集まりで、その晩の研究発表がおわって討論がはじまったとき、ある人がどもりがちに批評をやりはじめた。自分の言いたいことを必死になって言葉にまとめようとしていたけれども、私には彼が何をいってい

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ウィリアム・W・バートリー『ウィトゲンシュタインと同性愛』

日本語版への序、一九八八年

『ウィトゲンシュタインと同性愛』のこの版は、ほぼ、一九八三年のドイツ語訳とスペイン語訳の、ならびに一九八五年の改訂英語版のテキストにしたがっている。しかしながら、わたくしは、この機会を利用して、若ーの訂正をおこなうとともに「あとがき」を更新するために何ページか追加し、またウィトゲンシュタインの『秘密の日記』にかんする短い付録を付け加えた。
 アメリカ人の著者にとって、

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クリスティアンヌ・ショヴィレ『ウィトゲンシュタイン──その生涯と思索』

まえがき

〔…〕

 一九五三年、「哲学探究』(一九二九年から一九四五年までのウィトゲンシュタインのきわめて密度の濃い、哲学的営為の大成)が、死後、刊行されるにおよんでイギリスの哲学シーンは変貌する。しかし、『探先』が『論考』のときのような満場一致を得ることはなかった。久しくウィトゲンシュタインと絶縁していたラッセルはこう表明する。「ウィトゲンシュタインは自分の才能を安売りして、常識に身を屈した

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レイ・モンク『ウィトゲンシュタイン2』

Ⅲ 1929─1941(承前)15 フランシス

 ウィトゲンシュタインの純粋数学の威信へのドン・キホーテ的な攻撃は、一九三二─三年の学期にピークに達した。この年に、彼は二つの連続講義をした。一つは「哲学」、もう一つは「数学者のための哲学」という題であった。これらの講義のうちの第二番目の講義において、数学専攻の学部の学生たちに用いられていた教科書が彼らに有害な影響を与えている、と彼がみなしたものに

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レイ・モンク『ウィトゲンシュタイン1』

論理と倫理は基本的に同じであり、
それらは自分自身に対する責務以外のものではない。
オットーワイニンガー『性と性格』

Ⅰ 1889─19191 自己破壊の実験室

「ウソを言うことに利点がある場合になぜ本当のことを言わ
なくってはならないの。」
 これが最初のルートウィヒ・ウィトゲンシュタインの哲学的省察として記録されていることである。八歳ないし九歳の頃、彼は戸口に立ち止まり、その問題について考

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S.トゥールミン+A.ジャニク『ウィトゲンシュタインのウィーン』

第一章 ──問題と方法──

〔…〕

 同じように、二十世紀初頭のウィーンの建築と芸術、ジャーナリズムと法律学、哲学と詩、音楽、戯曲および彫刻を、同じ時期の同じ場所にたまたま起きていた、多くの並行した、独立の活動とみなすならば、再び、それぞれ別な分野についての、莫大な量の、詳細な技術的な情報を集積することに終わるであろう。そして一方では、これらのすべての中で最も意義のある事実、すなわち、これらは

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