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食べることは強制されるものではないよね


先日、noteクリエイターの三鶴さんが書かれた、給食にまつわる辛い過去の記事を読みました。


それを読んで心を痛めながらも、私自身の小学生時代の光景がありありと目に浮かんできたんです。

そして、突如自分の経験も書きたい思いに駆られました。

今回は珍しくそんな子供時代の話をしたいと思います。


最初に言っておくと、私が通った小学校では暴力を振るうような先生も暴れる生徒もいない平和で明るい雰囲気でしたよ。



私は小学校低学年の頃食べるのが遅くて、給食の時間に食べ終わらないことがたびたびありました。

給食の後は掃除の時間でしたが、私を含め食べ終わらない数人はベランダで続きの給食を食べさせられました。

教室からホコリが舞い上がってくる中で。

しかもお腹いっぱいでもう食べたくないのですから、箸も進みません。

小学2年生の時には、食べ終わらない生徒達が残りの給食持参で一年生の教室に移動させられたこともあります。

今考えると???ですが、なんと一年生が見守る教室の壇上で、一年生と向かい合って食べなくてはいけませんでした。

見せしめです、、、

さすがにこれはすごく嫌で、屈辱的な感情も覚えました。

「またここで食べたくなかったら時間内に食べなさい!一年生もこうなりたくなかったらきちんと食べるのよ!」

定年間近の女の先生。

厳しいけれど優しい面もあって、本当は生徒達への愛情がたっぷりであると伝わってくる好きな先生でした。

好きな先生だからこそ、その異様な光景と、おかしなことが堂々と行われて誰も意を唱えない世界が気持ち悪く感じました。

現実感がないような、歪んだ世界にいるような。


昭和の教育って、今では考えられないことがまかり通っているところがたくさんありました。

食べ物が大事なのは分かります。

満足に食べられない人達が世界にたくさんいることも知っています。

日本でも戦後は食べ物が少なく、とても苦労したことも知っています。

その辛い思いをした世代が、子供達に残すことを禁じて強制的に食べさせる。

その教育は次の世代にも継承されていく。

それが正義なんでしょうか?

飽食の時代に、子供に見合わない一律の量を無理に食べさせることが?

そんな訳ありません。

そもそもそれぞれ体格も食欲も食べられる量も違うのは当然のことです。

ただ、そこで怒って強制する人達にとってはそれが正義であり、悪いことをしている気持ちがかけらもないのが怖いところです。

教育。 
経験。
すり込み。
思い込み。

この場合、そこに相手の気持ちを考えることが入っていないのが残念でなりません。



時代はどんどん変わっています。

食べ物の状況も、世の中の動きも、考え方も常識もどんどん変わっていきます。

今ではそこまでのやり方をする学校はないと思いますし、あったら保護者からクレームが入ったり訴えられたりすると思います。 

(いや、もしかしたらそんな学校今だにあるかもしれないけど、ないことを祈りたい、、、)



ついでに学校の給食だけでなく、家でのことも思い出しました。

母は料理上手でたくさんの品数を用意する人でした。

それは人から褒められていたけれど、私には喜ばしいことでもありませんでした。

たくさんの品数は総体的な量も増え、小学生までの私には食べ切れなかったのです。

でも、学校と同じ。

食べ切るのが正義。

正義を振りかざしてきます。

残すことは許されないので、必然的に食べ終わるまで時間がかかります。

お腹いっぱいですから。

母は先に食べ終わって横で新聞を読みながら、私が食べ終わるのを待ちます。

そして時間のかかる私にだんだんイライラしてきます。

「早く食べ終わらないと片付けられないでしょう!」

そう言われても、、、

とゆっくり食べていると、待ちきれない母は残りをかき集めてスプーンに乗せ、私の口に何度も突っ込んでくるのです。

「ほら終わった。赤ちゃんでもないのに食べさせてもらってね。」

その頃小学2〜4年くらいだったと思います。

もちろん一人で食べられる年齢です。

母はその時怒っているというよりは笑っていて、お皿が空になったことに満足そうな表情を見せます。

そんなことをする神経が分からない私は、その笑顔がかえって怖く感じます。


お皿が空になればいいの?

私は口に食べ物が入り過ぎて飲み込むことすらできないのに?

私の気持ちを考えたことはないの?


本当に飲み込めないこともたびたびあり、私はトイレに行って口から吐き出して流しました。

強い不快感と、私の気持ちを理解しようとしない母への悲しみと恐ろしさと共に。





食べ物が大事であることと、食べきれない物や嫌いで食べれない物を無理矢理食べさせることは、全く別の話だと思います。

もったいないのは分かります。

でも、

食べ物が大事🟰残すのは悪

だと、食べる人が悪人扱いになりますよね。

準備した人の基準で決めた量が本人に合うかは分からないし、強制してお腹を壊したら本末転倒ですよね。

心の傷、トラウマになったらそれこそ問題なんです。

事前に食欲を確認するとか自分でよそってもらうとか、食べる前の配慮があってもいいんじゃないでしょうか。

でも私も言ったことありますよ、自分の子供達に。

「もったいないからもう少し食べなさい。世の中には食べたくても食べられない子供達もたくさんいるんだよ。」

自分が言われてきたことって自然と口から出てくるんですね。

その時の私は、親や先生からの教育通り「残さないことが正義」という信念をしっかり受け継いでいたと思います。

情報として伝えるのは悪いことではないですが、それが強制やプレッシャーになっては良くないですよね。

が、多分プレッシャーになっていたんだと思います。

その証拠に、以前下の子2人は食べきれない時に、必ず

「残してもいい?」

と確認してきていました。

それは、残してはダメと言われる可能性を心配してのことですよね。

今は、子供が「あんまりお腹減ってない。」と言えば手をつける前に食べられる分だけに減らしてもらいます。

食べ始めてから「お腹いっぱい。」と言えば、「食べられる分だけでいいよ。」と言います。

偏った食べ方をして野菜に手をつけていなければ、

「少しでも野菜も食べた方が体にいいよ。」

と一言添えてしまいますが、、、

子供達も私に聞かずに自分で判断して食べる前に減らしたり、食べ切れない時には、

「残してもいい?」
と許可を求めるのではなく

「こんなに食べられないかも。」とか
「もうお腹いっぱいだから残すね。」

と自分で決めて、私の顔色を伺うことはなくなってきたと思います。


時代は令和。 

みんなが楽しく食べられる世の中になればいいですね。

私も改めて気をつけたいと思った次第です。










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