長島可純

✎1994 ( 29 )¦池川友一都議専属カメラマン¦複雑性PTSD・摂食障害・買い物…

長島可純

✎1994 ( 29 )¦池川友一都議専属カメラマン¦複雑性PTSD・摂食障害・買い物依存¦ncnp¦市販薬od¦和楽器バンド¦近衛りこ¦竹内結子¦紅茶と百合がすき¦※写真の二次加工、SNS以外での無断転載はご遠慮ください。¦#選挙は愛だ #MeToo

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  • エッセイ

    大事にしたいこと、考えていること、伝えたいこと…など。

  • 金パブOD関連記事のまとめ

    市販薬odを踏まえたまとめです。 自衛してください。

  • セクシュアリティ(LGBT・SOGI)

  • 都議会・総務委員会

    都議会総務委員会の、主に原のり子都議(北多摩4区)の質問について書いた記事。

  • 令和元年・都議会第3回定例会

    令和元年9月3日から9月18日まで行われた第3回定例会に関する記事。

最近の記事

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ある劇団の会員を辞めた話。

証拠の何もない話だ。 「あなたに落ち度がある」と言われるかもしれない話でもある。 これを書いても 結局のところ、傷ついて終わりになるかもしれない。 それでも、 わたし自身が前に進むために 何かの形で言葉にしたいと #MeToo 運動の流れの中で ずっと思ってきた。 2016年から、今日まで ずいぶん長い時間がかかってしまった。 思い出せないことも 記憶がぼんやりしているところも 当時より増えてしまった。 けれど ひとつの区切りとして 自分が、あの日々をきちんと過去と認識す

    • パブロンゴールドを150錠飲み、命の危機を感じた話

      このままだとわたしは確実に死ぬ と、生まれて初めて思った。 2/18〜19にかけて130錠のパブロンゴールド(以下金パブ)を飲み その後、OS-1とお粥しか摂取できず それすらも吐いてしまうことが多々ある日々に わたしの身体は確実に 一日一日と衰弱していっていた。 起き上がることができない時がある 吐き気で身動きすら取れない時もある 起き上がれても立ちくらみで、ベッドから、膝から崩れ落ちたことも、トイレでへたり込んだこともある。 とにかく 日に日に体力がなくなっていった

      • 親友のこと。

        わたしにはいま とてもとても大切で失いたくない大切な親友がいる。 毎日電話をしても話し足りないくらい 話したいことはたくさんあって 伝えたいことはたくさんあって でも 電話の無言の瞬間もまったく気にならないくらい 大切で特別な存在。 病院で出会ったから 患者同士なわたしたちだけど わたしは彼女を“患者”として見たことは一度もなくて 出会った瞬間から大切で大好きな親友。 似たもの同士だから 言葉にしなくても、できなくても 伝わることがたくさんある。 いつかお互いお金に余

        • パブロンゴールドを130錠飲んだ話

          1週間前の話になる。 先週の日曜日、いつものように24時間トータル90錠のパブロンゴールド(以下、金パブ)を飲んでいた。 2月17日 19:02 30錠 22:47 30錠 2月18日 18:30 30錠 そして 19日 夕方いつものように 16:11 30錠の金パブを飲んでから 親友と電話をしていた。 とてもしんどかった。繋がっていたかった。 でも そのタイミングで親友の友だちが 処方薬をほんの少し多く飲んだとツイートしていて 彼女は 心配だから連絡を取る と、わたし

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        記事

          パブロンゴールド60錠+ブロン84錠飲んで救急搬送された話

          肝臓の数値が悪くならないのをいいことに わたしはまだパブロンゴールド(以下、金パブ)を手放せていない。 水曜日、いつものように30錠金パブを飲む。 診察のある日わたしは寝ずに病院に行く。 早起きして行っていた診察はいつからか一度眠ると起きられなくなり、間に合わなくなり 眠ることを諦めた。 眠らない日の夜は長い。 明け方3時、心が限界になったわたしは追加で30錠飲んだ。1日はまだ長い。 これ以上飲むとまた救急搬送案件になってしまう、と思ったわたしは 朝イチの診察で主治医に聞い

          パブロンゴールド60錠+ブロン84錠飲んで救急搬送された話

          食べることが怖い

          最近 エネーボ6缶生活から 固形物が食べられる生活になっている。 それ自体は はたから見たら喜ばしいとこだと思う。 でも わたしには怖さが付きまとう。 わたしは摂食障害を発症してから 拒食→過食嘔吐→拒食→過食嘔吐を 繰り返してきた。 だから 食べられるようになったことで それが過食嘔吐になってしまうことが怖い。 食べることは楽しい。 友だちも食事にも行けるようになった。 でも 同時に怖さがある。 「食べられるようになってよかったね」 という言葉は純粋に嬉しい。

          食べることが怖い

          フラッシュバックの対処法

          わたしは数ヶ月前まで 頻繁にフラッシュバックを起こし 時に、病院で崩れ落ちて車椅子で運ばれたりもしていた。 そんなわたしが フラッシュバックをコントロールできるようになり いまでは ほとんどフラッシュバックは起きていない。 なぜそうなったのか。 薬剤師さんの言葉 フラッシュバックに頻繁に悩まされていて それが“死にたい”に繋がっているわたしに 薬剤師さんが教えてくれた。 「わたしはね フラッシュバックが起きると 手を握ったり、周りにあるものを触ったりして 今を意識し

          フラッシュバックの対処法

          Diorというわたしの居場所

          今年に入ってから毎月欠かさず行く場所がある。 Dior 京王百貨店新宿店 はじめは、よく買い物をする百貨店 というだけの理由で選んだ。 他に理由なんてなかった。 でも、今では大切なわたしの居場所になっている。 わたしには いつからか正確には覚えていないけれど 担当さんがついてくれている。 いつも、わたしにぴったりの色を 的確に選んでくれる、信頼できる人。 敬遠していた赤リップを 似合うよと勧めてくれたのも その担当さん。 半信半疑だったけど、そのあとまわりにすっごく

          Diorというわたしの居場所

          パブロンゴールドを120錠飲んで、後追いしようとした話。

          わたしの唯一無二の大親友が亡くなった。 市販薬を80錠飲んで意識を失い そのまま亡くなった。 亡くなる2日前に会ったばかりだった。 いつもと同じようにたわいもない話をして だけどあの日は何だか帰りたくなくて 訪看さんに外来が混んでるって嘘をついて 訪看の時間が過ぎても病院に居た。 でもまさか、 あの日が最後になるとは思っていなかった。 出会ってまだ1年もたっていないけれど わたしたちは まわりからも大親友って認められるほどの 大親友だった。 無言の時間も気にならない

          パブロンゴールドを120錠飲んで、後追いしようとした話。

          死ぬことは永遠に憧れで、美しい

          人生、誰でも 一度は死にたいと思ったことがあるだろうか。 わたしは、ある。 それも数えきれないほど。 死にたいと思い 何度も死のうとしてきた。 わたしにとって死ぬことは憧れで 死ぬことは何より美しい。 “死ねる人”に憧れてきた。 人身事故のたび詳細を調べてしまう。 本人のアカウントにいきついたこともある。 自殺配信のアーカイブも 保存して何度も見ている。 死ぬことは憧れだ。 だって、全てを終わりにできるから。 真っさらになりたい。 人の記憶からも消えてなくなりたい。

          死ぬことは永遠に憧れで、美しい

          大切な人とのお別れ

          わたしにとって大切な訪看さんが居た。 名前は神戸(かんべ)さん。 一度は距離が近くなりすぎて 最初の訪問で揉めて、NGを出したほどだったけれど その後関係を修復させて 出会って日は浅かったけど なんでも話せる関係になっていた。 でも 腰を痛めて、GW明けから1日も出勤することなく 10月いっぱいで辞めてしまった。 心に、穴が空いた気がした。 かずみちゃん、と呼んでくれるようになったこと。 でも、それ まだ文字だけだったよ。 ちゃんと、会って呼んでほしかった。 元気に

          大切な人とのお別れ

          「ある劇団の会員を辞めた話」のつづき

          2022年7月にわたしは 「ある劇団の会員を辞めた話」というブログを書いた。 今回は その劇団との、その後の話。 ----- わたしは どうしても納得がいかず 弁護士を介して やりとりをすることにした。 SNSで晒す方法だってあった。 でも それは正当な手段ではない と思い、やめた。 弁護士を介すのが正当だと思ったから。 書面を通じて何度もやりとりをした。 しかし 返ってくるのは、当たり障りない 表面上の謝罪のみ。 二次加害がどういうものか 分かっているとは到底思え

          「ある劇団の会員を辞めた話」のつづき

          メジコンに手を出した日

          苦しかった。 思考を濁らせたかった。 もう、 考えることをやめたかった。 だから メジコンに手を出した。 10錠、わたしはそれを水で流し込んだ。 市販薬を手放して2ヶ月になろうとしている 10月24日の深夜。 金パブ、という選択肢はなかった。 だから 今度はメジコンを飲んでみた。 本当は知っていた。 薬を飲んで思考を濁らせたところで 現実は変わらないということを。 飲んで何か変わるわけではないということを。 そして いま苦しんでいることが 人生の全てではなくほんの

          メジコンに手を出した日

          死にたいと思わなくなった日

          わたしは 小学生の頃からずっと 死にたいと思ってきた。 その過程と なぜいま死にたいと思わないのか について書きたい。 小学校時代のいじめ きっかけは 小3と小6で経験した壮絶ないじめ。 自己肯定感が削ぎ落とされて 自分なんか居ない方がいいと思っていた。 陰口を言われる。 いつもグループ分けではひとり残る。 もう覚えていないことのほうが多いけれど あの状況で よく1日も休まずに学校に行ったな、と思う。 休んでいれば、逃げていれば 自己肯定感がここまで 削ぎ落とされる

          死にたいと思わなくなった日

          拒食症〜固形物が食べられなくなった日〜

          今回は わたしがいま抱えている 摂食障害について書いてみようと思う。 はじまり、そしていま わたしの摂食障害のはじまりは 2020年5月21日だから もう3年になる。 その間に 拒食と過食嘔吐を交互に繰り返してきた。 拒食が良くなると今度は過食嘔吐になり それが落ち着くと拒食に、、その繰り返しだ。 そしていまは 過去イチひどい拒食症になっている。 それまでは普通に食べられていた。 レストランに行って 一人前を食べて、吐くこともなく過ごせていた。 それがある日 彼氏

          拒食症〜固形物が食べられなくなった日〜

          買い物依存、という対処法に苦しんでいる話。

          いま、わたしが日々自分自身を悩ませ 家族をも苦しめている 「買い物依存」 について 今回は書いてみたいと思う。 まず、前提として わたしは正式に「買い物依存」と 診断されたわけではない。 なぜなら 厳密に言うと買い物依存とは少し違っているからだ。 いわゆる買い物依存は 買うことにだけ意味を見出しているから 買って満足して 使わないどころか、開封すらしないこともあるらしい。 だが、わたしは 買ったものは持て余すことはあっても たいてい、ちゃんと使うし 当然、全て開封する

          買い物依存、という対処法に苦しんでいる話。