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大切な人とのお別れ


わたしにとって大切な訪看さんが居た。
名前は神戸(かんべ)さん。

一度は距離が近くなりすぎて
最初の訪問で揉めて、NGを出したほどだったけれど
その後関係を修復させて
出会って日は浅かったけど
なんでも話せる関係になっていた。

でも
腰を痛めて、GW明けから1日も出勤することなく
10月いっぱいで辞めてしまった。

心に、穴が空いた気がした。

かずみちゃん、と呼んでくれるようになったこと。
でも、それ
まだ文字だけだったよ。
ちゃんと、会って呼んでほしかった。

元気になれるならハグしましょう
と言ってくれたこと。
まだ実現してないよ。

話したいことも
聞いてほしいことも
山のようにあるのに
もう、伝えることができない。
それが
どうしようもなくさびしい。会いたい。

GW頃、といえば
それは
わたしが死ぬことを手放した頃だった。

神戸さんは手放すか迷うわたしに
「手放しても受け止める人たちがいると信じてほしい」
と言って背中を押してくれた。

手放すと決めてからも
揺れる気持ちに寄り添い
「死にたいと言葉に出してもいいから
本当に死ぬことだけはしないでほしい」
「かずみちゃんが死んでも誰も救われない。むしろ、辛い」
「心配しています」
と伝え続けてくれた。

死ぬ日を手放す過程で別の訪看さんに
大きな迷惑をかけてしまい
罪悪感で死にたいと言うわたしに
「誰かのために死ぬなんて絶対にしなくていい。信じてください」
そう言ってくれた。

それが、最後のメッセージ。

生きていれば出会いもあるし別れもある。
そんなの、分かっていたはずだった。
でも
あまりに唐突すぎて
わたしはこの別れをまだ受け止めきれていない。

短い間にたくさんの言葉をもらった。
それは
優しくてあったかくて心に響く言葉だった。
まだまだ話したかった。
神戸さんのことも、もっと知りたかった。

訪問看護師なんて
医師の指示書1枚で繋がってる関係
と、割り切ることはわたしにはできない。
とても大切な存在で
訪問はとても大切な時間。

その時間をもっと共有したかった。

ねえ、
「かずみちゃん」
って一度でいい
ちゃんと呼んでほしかったよ。


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