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ある劇団の会員を辞めた話。


証拠の何もない話だ。
「あなたに落ち度がある」と言われるかもしれない話でもある。
これを書いても
結局のところ、傷ついて終わりになるかもしれない。

それでも、
わたし自身が前に進むために
何かの形で言葉にしたいと
#MeToo 運動の流れの中で
ずっと思ってきた。

2016年から、今日まで
ずいぶん長い時間がかかってしまった。
思い出せないことも
記憶がぼんやりしているところも
当時より増えてしまった。
けれど
ひとつの区切りとして
自分が、あの日々をきちんと過去と認識するために
ここに書いておきたい。

・*・*・*・

わたしがその劇団と出会ったのは
幼稚園年長だっただろうか。
母に連れられて観に行ったのが、最初であった。
それ以降、母と一緒に様々な作品を観てきた。

2014年に観た作品に感銘を受け
改めて劇団のファンになり
それ以降は
まだ学生で自由な時間が多かったこともあり
定期公演はほぼ毎日観に行き
わたしにとって演劇は、
生活の中になくてはならないものになっていた。

純粋に彼らの創り出す作品が好きだったし
関わる時間が長くなる中で
私は彼らを心から信頼するようになっていた。


2016年9月。
その時の作品は
海外の劇団との共同制作だった。

作品は
これまで観たことのないようなもので
新しい世界を知ることができて
とても良かった。

その感想のまま
あの公演期間が終われば良かったのに…
とこれを書いている今も思う。

でも
現実はそうではなくて
公演初日の夜、
それまでの人生で積み重ねてきたものが
崩れ落ちるような音を
わたしは、たしかに聞いた。

詳しい経緯も、起きたことの詳細も
ここには書かない。
その詳細を明かすことが、これを書いている目的ではないから。

あの夜、わたしは
海外から来た演出家に
家に誘われ
そしてそこで望まない性行為をさせられた。

ほぼ初対面だった。

あのとき、終電はもうなかった。
だから
電車動くまで居たら?くらいの
「家においで」だと
英語のほとんどできないわたしは思った。

わたしは、家に行くことに同意しただけで
セックスに同意したわけではなかった。

「シャワー浴びたら?」
という彼の言葉を
理解できた時にはもう「NO」と言える状況ではなかった。

もっとわたしに、思いを伝えられるだけの英語力があれば
断れたかもしれないけれど
NOと言っても、そのあとの「why?」に対して返す言葉を持っていなかったから
言葉を濁して曖昧に笑うたびに、NOはなかったことになっていた。

あの時の屈辱も
痛みも
すべてを覚えている。いまも。

死にたいと何度も思った。
公演が終わって彼らが自国に帰ったら、
誰にも理由を告げずに死ぬのだと
計画まで立てた。
実行は、できなかったけれど。

何人かの劇団員に話をした。
そこで返ってきたのは
「NOと言わなきゃ伝わらない」
「あなたにも落ち度がある」
「男女の一夜の過ち」
「逃げればよかったのに」
という言葉だった。

そして
「今はここだけの話にしてほしい」
「出演者にもお客さんにも関係ないこと」
「公演に影響してほしくない」
と、当時とても信頼していた劇団員に言われ
わたしはもう
それ以上話すことをやめた。

わたしの身に起きたことは
わたしに落ち度があったからで
自業自得なのだと、
そんなわたしに被害者ぶる資格はなくて
何もなかったように振る舞わなければいけないのだと
公演はそのあとも
予約していた分は全て観て
感想ブログ(※当時書いていた)も、やめずに書き続けた。

その中に、こんな言葉が残っていた。

たぶん
“何となく”で観てしまったら
大切なことを見落としてしまう。

人生と一緒で
芝居も
一瞬一瞬に意味があって
要らないことなんかなくて
だから
見落としたりしないようにしたい。

わたしは
何回も観ることができる。

でも
それにも限りがある。

永遠なんてないから
今日観れるものを全力で観る
ただそれだけ。

わたしにとって
この作品が
またひとつ、生きていく糧になるように
大切なものになるように
3日目以降も大切に、しっかり観たい。

“生きていく糧”になんて、なるわけない。
大切なものにもならない。
でも、あの時のわたしは
そう書くことでしか、心を保てなかった。

いまのわたしに
あの作品を観ることは考えられないけれど
でもあの時のわたしには
「なかったことにして、普通に振る舞う」
ということが
自分の心を守るための方法だった。


でも、それから6年半という時間が過ぎる中で
わたしはさまざまなことを学んだ。

「性的同意」とは何なのか
あの日、わたしたちの間にそれはあったのか。

家に行くことは
あくまでそれに同意したにすぎないこと
家に行ったことを責めるのは
間違っているのではないか、ということ。

拒否したかどうかを基準に考えて
NOと言えなかったことを責めるのは
違うのではないか、ということ。

それらを考える中で
もう一度劇団と話したいと思うようになり
わたしは劇団に手紙を書いた。

公開できない部分を消して
その手紙をここに貼る。



これに対して
劇団側から返ってきた返事は

・劇団の中で誰かが被害にあった、という話は聞いていない

・個人の問題

・相手は同意があったと誤解したのではないか

・私達と相手側との仕事はうまくいった

・「当時起きたことを知り、事実を受け止めてほしい」とあるが、劇団員全員に「彼にはこういうところもありますよ」ということを知れ、ということか

・彼が恋人だったらよかったのにね

・彼を監視していればよかった、ってことですか?

といったものであった。
言葉が見つからなかった。
性暴力というものを何も理解していない、と思った。
言われた言葉は心に刺さって
いまも、抜けずにいる。

それ以来、劇団員と会うと
被害だけでなく、話し合いの場面のフラッシュバックを
起こすようになってしまった。
演劇は好きだ。劇団のつくる作品も好きだった。
けれど
もう関わることはできないと思った。

だから、わたしは会員を辞めた。

この先も、二度と会員になることはないし
劇団員と関わることもないと思っている。

いま、願っているのは
いつか、性暴力について学ぶ機会があった時に
あの時の話し合いで
わたしが傷ついた、ということに気づいてほしい。
ただ、それだけだ。

性暴力も、
無理解によるセカンドレイプも
簡単に人の心を殺す。

何年たっても、その傷が癒えることはなくて
今もまだ、わたしは
複雑性PTSDと診断されて
闘病は続いているのです。





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