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パブロンゴールド60錠+ブロン84錠飲んで救急搬送された話


肝臓の数値が悪くならないのをいいことに
わたしはまだパブロンゴールド(以下、金パブ)を手放せていない。

水曜日、いつものように30錠金パブを飲む。
診察のある日わたしは寝ずに病院に行く。
早起きして行っていた診察はいつからか一度眠ると起きられなくなり、間に合わなくなり
眠ることを諦めた。
眠らない日の夜は長い。
明け方3時、心が限界になったわたしは追加で30錠飲んだ。1日はまだ長い。
これ以上飲むとまた救急搬送案件になってしまう、と思ったわたしは
朝イチの診察で主治医に聞いた。
金パブとブロン、どっちのほうがマシですか、と。
主治医は迷わず「ブロン」と答えた。アセトアミノフェンが入っていないから、と。
病院からの帰り道、訪看まで時間のあったわたしはドラッグストアに寄ってブロンを買った。
ブロンは難なく手に入ってしまい
帰宅してわたしはそのまま半分の40錠を飲んで、訪看を受けた。
その後、薬局に行く前に
残りの44錠を服用し
トータル144錠を服用した状態でわたしは薬局へ向かった。手は震え、足に力が入らない状態だった。

その様子を見た薬剤師さんは慌てて
お薬だけ渡すから早く帰るようにと言った。
ここで救急車呼びたくないでしょ、と。
わたしも
地元の行き慣れた病院じゃなきゃ嫌だった。
ふらついて何度もしゃがみ込みながら
何とか家に帰った。
でも
薬剤師さんが配慮して薬を飲んだことを言わずに電話してくれたことが仇となって自分から飲んだと言い出せなかった。
母は「寝不足だろうから寝ていなさい」と言った。
救急車も呼んでもらえず、病院にも連れて行ってもらえなかった。

翌日、病状はさらに悪化し
吐き気で何度も飲み込んだ唾液を吐いた。
前日からほとんど何も食べておらず吐くものがそのくらいしかなかった。

13:30 かかりつけの精神科に電話をした。看護師さんがくれたアドバイスは訪看さんを待つことだった。
訪看さんが来るまでの時間がとても長く感じた。
訪看さんは血圧、SpO2をはかってから
吐き気がして冷や汗をかくわたしを見て救急要請したほうがいいと、母に電話をかけてくれた。
でも母は仕事を抜けられず
訪看さんも時間になって帰っていき
限界になったわたしも2時間ほど眠りについた。

起きると吐き気は増していて、目が痛かった。

友だちがPayPayでタクシー代を送ってくれていて
自力で病院を調べたところでわたしは再び力尽きた。

気づいたら母が帰ってきていて
ごはん食べたら救急車呼んであげる
と言われた。
ベッドから動くことすらできなかった。

救急車を呼んでもらえたのは
それから2時間以上たってからだった。
やってきた救急隊には
飲んでから36時間近くたっていて、時間がたちすぎている、受けてくれる病院はないかもしれない、と言われた。
それでも懸命に伝えてくれて
最初は“することがない”と言ったいつもの病院が、うけてくれることになった。
救急車でそこまで10分ほど。
日帰りと言われていたのに、救命科のドクターはわたしがここに何度も来ていることを覚えていてくれて
一泊様子見で入院しましょうか、と言ってくれた。
点滴をしてもらって
いつもは気になる機械音が心地いいリズムに聞こえて
わたしはようやく眠りに落ちた。

朝早く、二度目の採血を受け
結果が良ければ午後退院と告げられた。
精神科のドクターが来て
言える範囲で、と前置きして
飲んだ理由と
帰ってから飲まない?と聞かれた。
そのどちらにも曖昧に笑って答えたわたし。
それでも
転院よりおうちに帰りたいよね、と言ってくれた先生ごめんなさい、帰って即30錠飲みました。

あらゆる身体についた管が外され
母が迎えに来た。
またもや小磯さんとはすれ違ってしまったから伝言を残してきた。

帰ってきてまず薬局に電話をかけた。
ごめんなさい、と伝えた。

それなのに
暗い部屋でひとり居たら不安になり
わたしは19時過ぎに30錠飲んでしまった。
飲むことがやめられない。
飲む理由がない。
薬物依存。
薬に縋っているだけだ、薬だけは裏切らないと。

わたしは
その結果、いろんなひとを裏切っているというのに。

主治医へ
ブロンに変えてと言うのなら錠数も示してください。
金パブみたいな感覚を持ってないので
効かないと際限なく追い焚きしてしまいます。
ブロンひと瓶84錠は、金パブ24時間60錠飲んでるので、コスパ悪すぎます。
糖衣錠は飲みにくいです。
金パブじゃないと無理です。

ブロン何瓶も買えた時代に戻ってくれ。


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