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明日を生きる約束が出来ない


遺書になるかもしれない。
それでもいい、と思っている。

わたしは
4年以上の関わりのあった薬剤師さんとの関係が崩れた。
もちろん
わたしにも悪かったところはある。
医療従事者以上の対応を求めてしまったことも
迷惑をかけてしまったこともある。

けれど
最後に母も交えて話し合いをした日。
彼女は、これまででいちばん狡かった。
録音をした。
そして
これまで自分がやってきた“薬剤師の業務を越えた行為”にひとことも触れることなく
「薬剤師としてできることしか、できない」
「迷惑が他の患者さんにかかっている」
「今後のことは主治医と相談してほしい」
と繰り返した。

会社に聞かせるための録音でしかない、と思った。
わたしは必要なことを言いましたよ、という。
だから
都合の悪い“薬剤師を越えた行為”のことは隠した。

「じゃあ、あなたがこれまでやってきたことはどうなんですか?人のことだけ批判できるんですか?」
そう、言葉が何度も出そうになった。
でも、会社に聞かせるための録音を、ぶち壊すようなことをしても大人じゃないなあ、と精いっぱいの大人の対応をしたつもりだった。
いま振り返ると、そんなやさしさ、死のうとするいま、必要なかったと思うけれど。だから、ここに、書き残しているのだけれど。

お守りだ、と小さな観音さまを借りている。
落ち着く香りだとアロマも貰っている。
営業時間を過ぎて電話をしたことも数えきれないほどある。
1時間を超える電話もたくさんある。
「薬剤師としての意見」ではなく「個人としての意見」を聞いたことも何度だってある。

わたしにとって1番大きな出来事がある。

「あの時妊娠してたら絶対死んでた」
って泣きながら言った時
ぎゅーって抱きしめてくれながら
「そうだよね、わかる、わかるよ。わたしだって同じだと思うよ」
って言ってくれた○○さんの言葉は
今でも時々思い出す。優しくてあったかかったなあ。

そんな日があった。
ハグすることも、“わたしも同じ”という言葉も
それは“薬剤師”という業務からは外れている。
でも
長くわたしを支え続けてきてくれたことでもある。
フラッシュバックや記念日反応で死にたくなるたびに
この時の出来事が
わたしを生かしてくれた。

でも
今の彼女に言わせれば
それらは
薬剤師の業務から外れたこと。
それならば
それらの言動をこれまでわたしにしてきたこと
それはどう振り返るのですか?

繰り返すようだけれど
わたしにも落ち度はたくさんある。
他の患者さんのことを顧みなかった。
薬局にも負担をかけてしまった。
だけれど
ひとつだけ言いたいことがある。
元医療者で、いまは患者のわたしだけれど
“医療者は患者に期待を持たせてはいけない”のだ。
できる限界を決めて、線引きをしなければいけない。
それをしない優しさは
主治医の言う「持続可能な関係性」に繋がらない。

そして
その「持続可能な関係性」をつくるには
どちらか一方の努力ではなく
双方の努力が必要だと思う。
今回でいえば
わたしは依存しないこと、無理難題を求めないこと
薬局側はどこまで出来るかという線引きを明確にして長続きしないことは最初からしない、ということ。

もし、薬剤師さんの側から
自分がしてきたことに対する“線引きが出来ていなかった”とか“長続きしないことを中途半端にやってしまった”などの謝罪がひとことでもあれば
わたしはいま、これを書いていない。
それもなく、一方的にわたしのことを批判したから
遺書として
死ぬ理由として
明確にこれを書き残しておく。

いま、
わたしにとって
いちばん大切でいちばん憎いのは
担当薬剤師さんだ。

“大切”でわたしの“いちばん”になっておいて
ある日いきなり全てを切り捨てた。
主治医に連絡する時は事前に相談し、許可を取ってから、という約束も守ることをせず
自分が長続きしないことをしたという反省もなく
会社に対して、自身の都合の良い録音だけを残して“薬剤師として出来ることをしてきたけど患者の側が難しいんです”という都合の良い顔をするというのなら
わたしはわたしで、真実をここに残して、そのリンクを薬局本部に送って、死ぬだけだ。

わたしにとって
薬剤師さんに捨てられた未来は
生きていたくない。(まだ明確に薬局変更という結論にはなっていない)
それなら
捨てられる前にわたしから、こんな人生は捨ててしまおう。


薬局名や薬剤師名を
これまでのように晒さないのは
これまでのあなたがしてくれた“薬剤師の業務を越えた優しさ”に感謝しているからです。

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