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クエチアピン(100)を140錠飲みました。


覚えていないことのほうが多い。
だから
ここに書くことは
あとから周りに聞かされたことが大半を占める。

5月7日の15:30頃
わたしは
クエチアピン(100)を140錠飲み
そのまま意識を失った。
16時過ぎに訪看さんが来た時には
すでに意識がなかったという。

救急車は呼ばれたけれど
何を何錠飲んだか、誰も分からず
“二次救急”の扱いになって、搬送された。
運ばれた病院ではたいした処置もされず
帰されたという。

そして
翌日になっても意識は回復せず
両親は再び救急車を呼んだ。
救急隊ががんばって病院を探してくれて
わたしは
西東京中央総合病院というところに運ばれた。
運ばれる時
救急車の中で、わたしは酷く痙攣した。

いつも夜間に運ばれることが多いから
詳しい検査ができないけれど
この日は日中。
詳細な検査をしてもらえたようで
検査の結果、尿閉になっていることも分かった。
尿カテを入れてもらい
点滴も何本かしてもらい、帰宅した。

この日の記憶も一切ない。

そして翌日は国立精神の受診日。
診察に行ったようだけれど
わたしは何も覚えていない。
看護師さんが車椅子のわたしの面倒を
ずっと見ていてくれたこと。
尿閉になって、尿カテを入れたまま行ったわたしに
主治医が驚いていたこと。
受付のお姉さんと話をしたこと。
いろんな人に心配をかけたのに
わたしは病院での出来事を
何ひとつ覚えていない。
13日に診察に行き
いろんなひとに声をかけられ
あの日どれだけ多くのひとに心配や迷惑をかけたか知った。
意識のない中でのこととはいえ
申し訳なかったと思っている。

金曜日になり
ようやく、わたしは意識が戻った。
訪看さんが来て
一緒に救急搬送先で取られたピアスを
付け直してもらったことを
ぼんやりと覚えている。

でもぼんやりとした記憶。
別の訪看さんに「ピアス付けてもらったんじゃないの?!」と言われるまで
忘れていた記憶。
金曜日になってもなお、わたしの思考は曖昧だった。

これを書いているのは16日(木)になる。
やっと
まともに思考し
前日の記憶も残るようになった。
けれども
疲れやすく、まだ本調子とは言い難い。
先月から足とお尻にできた褥瘡は
寝ていて食事を摂れていないことも相まった
低栄養状態から
なかなか良くならず
体重が減り過ぎたことであちこちに痛みがある。

死にたい気持ちは変わっていなくて
140錠飲んでも死ねないなら200錠飲んだらいいのだろうか、と考えている。
死ねないのなら、誰かわたしを殺してくれ、とすら思う。
そう日記に書いたわたしに
主治医は心配そうな顔をしていた。
たくさんの患者を抱えて大変な主治医に
心配をかけてしまっていること
申し訳なく思う。

でも
どうして生きているのかわからない。
こんなにもたくさんの人に迷惑をかけてまで
どうして生き残ってしまったのかもわからない。
140錠なんて中途半端な量じゃなくて
もっと致命的な量を飲んでいればよかったのか。
でも
クエチアピンの致死量ってどれくらいなんだろう。
何もわからないけれど
ただただ生きていたくないと思ってしまう。
生きていることに
息をすることに、疲れてしまった。
何かを考えることが面倒で
眠り続けていたい。さもなくば死にたい。
胃が痛くて、身体が痛くて
痩せ過ぎた身体は不恰好で不健康で
かといって体重を戻せるほど食べられるわけでもない。

だからまたクエチアピンを集めている。
次は死ねますように、と思いながら。
それを知ってか主治医に言われた。
「早く入院してほしい。
じゃないとあなたまたodするでしょう?」と。

入院して死にたい気持ちがなくなるのかは分からない。
でも
今回入院する予定なのは
ncnpとは違って、総合病院。
内科もきちんと診れるところ。
だから
精神だけでなく、内科的な治療もしてもらって
少しでも身体を治して退院してきたい。

今回、クエチアピンをバカみたいな量飲んで
医療者の多くに驚かれた。
よくそれだけ飲めたね、と
よく無事だったね、と。

13日に
Xデーから1年を迎えた。
本当は死んでいたかもしれない日から1年。
まだ死にたい気持ちはあるし
全然前向きにもなれていないけれど
この1年には大きな意味があると思う。
というか、意味のあるものにしたい。
生きてきてよかったのか分からないけれど
Xデーをやめてよかったと
2年目を迎える頃には思えるように
次の1年を積み重ねたい。

そのためにも
死にたいけれど、なるべく死なないように
1日1日を積み重ねたい。

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