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【読書コラム】わたしはマカロンが食べれない - 『ピエール・エルメ語る: マカロンと歩む天才パティシエ』ピエール・エルメ&カトリーナ・ロワグ (著),佐野ゆか(訳)

 わたしはマカロンが食べれない。別に好みの話じゃなくて、アーモンドがアレルギーでダメなのだ。もっと言えば、ナッツ類がだいたいアウト。カカオだってけっこうヤバい。だから、チョコレートの味を未だ知らない。おまけに、りんごや梨、桃、葡萄、サクランボなんかも痒くなるので八方塞がり。素敵なお菓子と縁のない人生を送ってきた。

 それでも、チョコやナッツが使われた芸術品みたいなデザートが嫌いになれるはずはなく、一途にずっと憧れてきた。人が美味しそうに食べているオペラやティラミスをうっとり眺めてきた。その中でも、可愛くカラフルなマカロンに対する想いはひとしお。特にピエール・エルメの作品は別格で、見ているだけで幸せだった。

 学生時代、自分じゃ食べられないのにピエール・エルメのマカロンを買って、友だちが食べているところを見させてもらったこともある。高い金を払って、バカじゃないのと笑われたけれど、こちらとしては本望だった。

 伊集院光はむかし、大戸屋で知らないおじさんに声をかけられ、「俺はエビフライが大好きなんだ。でも、もう身体が受け付けねえ。金は出すから、代わりに買ってるところ見せてくれねえか」と頼まれ、食べているところを見せてあげたんだとか。わたしにはそのおじさんの気持ちがよくわかる。

 だから、ピエール・エルメの自伝本もすぐに買った。マカロンの味を知ることができない以上、せめて、それを作り出した人物について深く知りたいと思ったのだ。

 謳い文句でもある「パティスリー界のピカソ」に偽りなし。味の追求はもちろんのこと、日々、様々な芸術に触れ、自分の仕事に反映させようとしている意欲が明らかにされていた。エッセイを好み、観劇を欠かさず、常に知的好奇心が原動力なピエール・エルメ。本文の随所から、その芸術家気質が存分に伝わってきた。

 また、経営者として山あり谷ありの経験をしてきた過去についても語られていて、世界で一番有名なシェフたる所以を思い知らされた。特に、コロナ禍で売上が激減する中、念願だったシャンゼリゼ通りの旗艦店をどう扱ったかのエピソードは、誰もが同時代に同じ苦境を経験しているからこそ、臨場感たっぷりで面白かった。

 特にわたしが嬉しかったのは未来の展望が示されるところ。具体的にはビーガンのためのパティスリーを実現させようと本気で考えているのだと知り、心が震えた。詳しくはぜひ本文を読んで頂きたいが、ピエール・エルメは代替品を作るのではなく、既存のラインナップに並べられるような新しい作品を生み出そうとしているらしい。

 時代は変わる。人間も変わる。当然、美味しいも変わっていく。

 ピエール・エルメ曰く、ケーキに使われる砂糖の量は年々減り続けているらしい。見習い時代と現在とでは、半分以下になっているそうだ。理由は砂糖の摂り過ぎは身体に悪いと多くの人が思うようになったから。

 なるほど、たしかにそれはありそうだ。甘いものに限らず、脂ギッシュだったり、しょっぱかったり、極端な味を口にしたとき、我々は罪悪感を覚える。美味しいとか美味しくないとか考えるより先に、不健康だと心配になる。

 美味しいとはなんであるか。それを表現するための言葉を身につけるべく、日々、勉強に邁進しているピエール・エルメ。改めて、そんな人の作ったマカロンを食べてみたいと本気で思った。

 ああ。でも、わたしはマカロンが食べれない。

 もし、これがブドウだったら、どうせ酸っぱいに決まっていると適当に腐して、手の届かない仕方なさを諦められるかもしれない。でも、それをするには、ピエール・エルメのマカロンはちょっとばかり美し過ぎる!

 たぶん、死ぬまで、片想いが続くんだろうなぁ。



マシュマロを始めてみました。
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