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失敗の定義
いつしか失敗とはとても恥ずかしいことだと
認識するようになっていた。
私が失敗をネガティブに捉えるきっかけとなったのは小学生の頃だったと思う。
『音楽の授業でのリコーダーテスト事件』
教科書通りに演奏できるか確かめるために
生徒が順番に起立してリコーダーを吹く。
そんなに難しいものではなかったからか、
みんなはきちんと正解のメロディを奏でることができた。私以外は。
私は盛大に間違えて、最後まで吹くことが
できなかった。
教室はシーンとして、他の生徒は振り返って一斉に私の方を見た。先生も戸惑っていた。
集まったみんなの視線は、何でそんなことも出来ないの...?と言っている気がして、ひそひそ声に耐えきれず、泣いた。
このときから、
失敗というものはお手本通りに出来ないことであって、とても恥ずかしいことなんだと認識するようになった。
そしてその考え方は歳を重ねても
変わらず適応されていた。
きっとその定義をしているのは私だけではい。
授業で先生が分かる人?と挙手を求めたとき、本当は分かっているくせに誰1人手を挙げなかったのは、
万が一の失敗を完璧に防ぐには挑戦しないのが安全だと結論付けたからなんだろう。
だからこそ、衝撃だったんだ。
アメリカに留学したときの授業の光景が。
***
隅っこの席で、私は唖然としていた。
みんな自信満々に挙手して発言しているのに、言ってることは完璧ではなかったから。
彼らが発言した内容が間違っていること
だってとても多かった。
何でこの人たちは答えが間違っていてもみんなの前で発言できるのだろうか。恥ずかしくないのかな?そんな風に思ったものだ。
なのに教授は嬉しそうに、そういう考え方もあるよね、と深く頷いては彼らに参加点を挙げていた。
とある生徒の発言がキッカケに授業の深みが増したり、話が脱線して本来教授が話さなかったであろうエピソードが聞けたりした。
私はというと、声を発さなかったので失敗はしていないけど、その分成功もしてなくて、
参加点も、何も得ることができなかった。
彼らにとっての失敗の定義は
私のものとかなり異なるようで、
失敗とは新しい発見に繋がるもの
って感じで完全にポジティブなものとして
捉えていたなぁ。。。
***
もう一つ衝撃的だった出来事は、アメリカ人の恋人のお家にはじめて遊びに行った時。
彼のルームメイトは私にたくさん話しかけてくれたけど、私は決して自分から話しかけることをしなかった。
その時、本当は英語が話せたけど、
完璧ではないし間違ったら笑われると思って
頑なに話そうとしなかった。
「どうしてみんなと話さないの。」
そう尋ねる彼に私は
「文法を間違うのがカッコ悪いの。」
と答えた。そのあとは彼は
「話さない方がよっぽどカッコ悪いと
思うんだけど。」
と言っていて、それは
私の心にグサッと刺さった。
そうか、私は失敗することが恥ずかしいとおもってたけど、失敗を恐れて挑戦しないことの方が恥ずかしいんだなと。
ここら辺から、従来の失敗の定義が
大きく揺らぎ始めた。
***
それ以来、私の失敗の定義は変わった。
失敗とは上手くいくための方法を発見することであり、ちゃんと挑戦することができた証だ。
失敗した後には、
”おそらくここがまずかっただろうから
次はこうしていこう!”
っていう発見が必ずあって、それは私が挑戦したからこそ手に入れることができた
貴重な情報である。
挑戦しないと、たしかに失敗はしない。
誰かから笑われることもない。
その代わり成功することもない。
ノーリスクノーリターンだ。
これじゃあ、何も始まらない。
だから、失敗の定義をマイナスからプラスに
変換することができてよかったなと思う。
そのおかげで、挑戦することが増えた。
そしてそれは人生を前へ、前へ動かすことに
繋がっていったんだ。
メモ: 失敗は悪いことじゃない
***
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