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自分を嫌いになるのが得意なわたしへ
自分を嫌いになる、という感覚をいつから抱いていたのだろう
むしろ、自分を好き、という感覚など持ったことがない。そんな感覚を解りたいとも思わない
気持ちが悪くなるほど、ひとり反省会が得意だった
誰かと会ったり、話したあとは自分の言動の一言一句を、揚げ足を取るように振り返る
まるで、誰にも文句を言わせないように
ここまで、自己否定が過ぎると、逆に他人からは自己顕示欲が高く見えるらしい。うるさい話だ
真っ白なキャンバスを絵の具で塗りたいのに白が汚れることを恐れているかのようだ
真っ白なキャンバスに色をつけたい
私だけの色で満たしたい、私は何者かでありたい
そして、何者かであるための証明をし続けるのだ
私らしさを探したら私らしくなくなった
自己とは自己であると認識した瞬間に純粋な自己を失ってしまう
Specialな存在でなければいけなかった
それは誰に何を言われてもずっとSpecialでいられる
絶対的な存在なのだ
それが叶っていたら、わたしは幸せだったのだろうか
私の痛みは私のものであり、誰かの痛みは誰かのもの。価値あるものはどうでもいい毎日に埋もれていく
毎日は些細なことでできている
駅の人混みを歩いていたらすれ違い様に相手のカバンがぶつかって舌打ちをされた
スーパーの閉店間際で値引きの惣菜を買おうとしたら隣の人に取られた
私にとっては不運なことも、物語にならないほど些細なことである
本当に些細で誰にも言えないつまらない不幸が毎日起きる
その度に私は一喜一憂し、ため息をつくのだ
そんな無意味な日常の価値のない不幸を噛み締めて、社会に適応しよう
自由としがらみ、金木犀の香るコンクリートの街。誰にでもなれたはずの私。
わたしは自由なはずだった。
それなりに安定感のある名の知れたホワイト企業に入り、残業しなくても食いっぱぐれないくらいの給与と小さな贅沢はできるくらいの貯金が貯まり30代を迎えた。
周りから見たらとんでも無く自由だ。
お金もある。
時間もある。
子どもや家庭のしがらみもない。
縛るものはほとんどないのだ。
まるで理想のような30歳だ。
秋の夜、友人とお酒ではしゃぎ遅くなった夜道。
ふと懐かしい
小さな石ころで揺れる水面
登り調子だと思っていたら、小さな石ころで躓く
たいして転んでもないのに躓いたことによりリズムが崩れてひどく落ち込んでしまう
普段だったら気にも止めない程度のものなのに
小さな石ころでとんでもなく気持ちが揺り動かされてしまう
そんなことで揺り動かされてしまう自分が許せなくて更に落ち込んでしまう
そんな激しく揺れる水面のような感情に流されることを許容できるようになりたい