ただの日記

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最近の記事

自分を嫌いになるのが得意なわたしへ

自分を嫌いになる、という感覚をいつから抱いていたのだろう むしろ、自分を好き、という感覚など持ったことがない。そんな感覚を解りたいとも思わない 気持ちが悪くなるほど、ひとり反省会が得意だった 誰かと会ったり、話したあとは自分の言動の一言一句を、揚げ足を取るように振り返る まるで、誰にも文句を言わせないように ここまで、自己否定が過ぎると、逆に他人からは自己顕示欲が高く見えるらしい。うるさい話だ 自分の一言一句は覚えているのに、他人の一言一句は覚えていないことに、他人から

    • ないものねだりは際限なく、隣の芝は青く、夏の空はどこまでも青い

      手首も肩も華奢で、長く伸ばした黒髪が似合い、誰でも守りたくなるような、そんな女性になりたかった 「しっかりしているね」 「ひとりでも生きていけそう」 何万回と言われた言葉たちに自分のアイデンティティがじわじわと締め付けられる 褒められるのが嬉しかった 頼られるのが、誰かから「ありがとう」と言われるのが、嬉しかった。それだけだ 強くもなんともない。意地っ張りでみっともなくて、それでも自分の足で立ちたい、とそう願っているだけ 叶うなら、強くてひとりで生きていけるような女性で

      • 桜が綺麗だと、初めて言ったのは誰なのだろう

        桜の訪れの香り 川の水面が揺れて帷が落ちる 春の光に照らされた水面がキラキラと揺れる 久しぶりに会った友人はマスクを外して堂々と街を歩いていた 未だにマスクを外せないわたしは、布のしたで世の中に充満する甘ったるい空気を目一杯吸う 目に見えぬ誰にも分からぬ孤独がそこにはあった。それは同時に誰でもない孤独だった 春が嫌いだった。何かが変わらなくちゃいけない強制感のある空気が嫌だった。 わたしは結局わたしでしかないのに そんなことに思い悩むのも馬鹿馬鹿しいと思っているのに。な

        • 真っ白なキャンバスを絵の具で塗りたいのに白が汚れることを恐れているかのようだ

          真っ白なキャンバスに色をつけたい 私だけの色で満たしたい、私は何者かでありたい そして、何者かであるための証明をし続けるのだ 私らしさを探したら私らしくなくなった 自己とは自己であると認識した瞬間に純粋な自己を失ってしまう Specialな存在でなければいけなかった それは誰に何を言われてもずっとSpecialでいられる 絶対的な存在なのだ それが叶っていたら、わたしは幸せだったのだろうか 何かが不満だ 恐れていて、拙くて、狂おしい。未熟で、両手で包まなければ失ってしま

        自分を嫌いになるのが得意なわたしへ

        • ないものねだりは際限なく、隣の芝は青く、夏の空はどこまでも青い

        • 桜が綺麗だと、初めて言ったのは誰なのだろう

        • 真っ白なキャンバスを絵の具で塗りたいのに白が汚れることを恐れているかのようだ

          私の痛みは私のものであり、誰かの痛みは誰かのもの。価値あるものはどうでもいい毎日に埋もれていく

          毎日は些細なことでできている 駅の人混みを歩いていたらすれ違い様に相手のカバンがぶつかって舌打ちをされた スーパーの閉店間際で値引きの惣菜を買おうとしたら隣の人に取られた 私にとっては不運なことも、物語にならないほど些細なことである 本当に些細で誰にも言えないつまらない不幸が毎日起きる その度に私は一喜一憂し、ため息をつくのだ そんな無意味な日常の価値のない不幸を噛み締めて、社会に適応しようと必死に毎日を過ごす そして、給料日の明細で引かれている税金に絶望しながらも、な

          私の痛みは私のものであり、誰かの痛みは誰かのもの。価値あるものはどうでもいい毎日に埋もれていく

          隣の芝は青く、ビールはどんどん苦くなる

          「仕方ない」 そうやって自分のなかに湧く名もない感情に蹴りをつける ああなりたい、こうなりたい。 そう思えば思うほど隣の芝はどんどん青くなる 私が羨む人たちにも、私から見えているのは一部分で、それを都合のいいように羨ましがっているだけ 裏ではそんなに綺麗な話ばかりでもない そういうふうに青臭い感情に言い訳できるほどには大人になった 二十歳になったばかりの頃はビールの美味しさが分からなかった 「苦いだけの飲み物をなぜ好んで飲むのだろうか」 その問いに先輩たちは口を揃えてこ

          隣の芝は青く、ビールはどんどん苦くなる

          ひとりぼっちの東京

          誰もいない東京の街 遠くにキラキラ輝くビル群が見える。そこにはたくさん人がいるのに、わたしという人はまるでひとりのよう ひとりでも大丈夫と夏風が吹く お腹がいっぱいなはずなのに何かが物足りなくてコンビニに寄る 食べたいものはないのにせっかく来たので勿体無いと、無理やり季節外れの肉まんを買った やっぱり失敗したなぁと少し冷えた肉まんを頬張る 誰にも言えない感情を抱え、溢れ出たものの行き先は何処か 憧れのあの東京の歌のように過ごせたらいいのに そうやってトボトボと夜の街を

          ひとりぼっちの東京

          地球の端っこで唄う者よ

          東京の夜の街、駅前でアコースティックギターを抱え掻き鳴らす 生きてからこの歌声だけが救いだ、と。そう唄う者たち 蛍光灯で照らされる駅前。その歌は悲痛な叫びと同義である 何者かであったのだろう "私"でしかなかったのだろう 悲痛な叫びである スケートボードが走る音が響き渡る 若者は何者かになりたくて、叫びのような音を出す 上手に歳をとり損なった大人たちが最終電車に間に合うようにダラダラと歩いていく その足跡に叫びが混じり、夜の帳に消えていく

          地球の端っこで唄う者よ

          日常

          楽しく過ごした後の平坦な日常はつらい。それが当たり前だったはずなのに少しばかりの刺激を求めてしまう。 勝手に期待してるだけなのかもしれない。勝手に落胆してるだけなのかもしれない。 それでも続くのが日常である。

          日常

          孤独とは

          孤独とは、なんだろうか。 誰にも理解されないときだろうか。 想いを伝えられないときだろうか。 声を出せないときだろうか。 ひとりのとき、だろうか。 気持ちの悪い夢を見て朝起きたとき、途方もない時間の長さで孤独を感じる。 嫌なことが続いて、それがずっと続くのか、と、絶望したときに孤独を感じる。 冬の夕焼け、グラデーションのかかった空に燦燦と輝く一番星が見えたときに孤独を感じる。 孤独とは寂しさなのか。 途方もない絶望なのか。

          孤独とは

          夜の帳とアルコール

          夜に考え事は禁物だ。暗闇の奥から魔物が手招きし思考が吸い込まれていく。 オフィスに行っていた頃は仕事帰りはほとんど飲みに行っていた。アルコールで思考を誤魔化し、人といることで気を紛らわす。 その人と話したくているわけではない。夜に考え事をしたくないからだ。 アルコールで脳を浸し、思考が沈んでいくのをなんとか抑えベッドまで向かう。 そして夜はふけ、気の重い朝がくる。

          夜の帳とアルコール

          自由としがらみ、金木犀の香るコンクリートの街。誰にでもなれたはずの私。

          わたしは自由なはずだった。 それなりに安定感のある名の知れたホワイト企業に入り、残業しなくても食いっぱぐれないくらいの給与と小さな贅沢はできるくらいの貯金が貯まり30代を迎えた。 周りから見たらとんでも無く自由だ。 お金もある。 時間もある。 子どもや家庭のしがらみもない。 縛るものはほとんどないのだ。 まるで理想のような30歳だ。 秋の夜、友人とお酒ではしゃぎ遅くなった夜道。 ふと懐かしい音楽が聴きたくなった。金木犀の曲だ。 大学生のときはバンドに明け暮れていた。

          自由としがらみ、金木犀の香るコンクリートの街。誰にでもなれたはずの私。

          蝉時雨の夏の果て

          蝉の声が聞こえる。儚い夏の象徴である。この声を聞くと、夏を感じるのではなく夏の"終わり"を感じてしまうのは何故だろう。 昼下がりに飲む冷えたコーヒーでささやかな幸せを噛み締める、なんてことない日々が足早に過ぎていく。 時の早さを認識すると、人は切なくなる生き物なのだろう。 宝物が溢れていそうな日常なのに溢れ落ちていくものにばかり目がいってしまう。正しく生きることは殊更に難しい。

          蝉時雨の夏の果て

          祈り

          人は祈りに救われている、 叶わぬもの、不安なもの、想像を越えるようなことが起きることがあると知った上で、何もできないと分かった上で祈るのだ あなたにとっての祈りの行為はなんだろう 自分の中にある、ある種の祈りのような行為を発見したとき それは不可侵なようでいて誰にも理解されない行為である 自分が分かっていればいいのだ

          小さな石ころで揺れる水面

          登り調子だと思っていたら、小さな石ころで躓く たいして転んでもないのに躓いたことによりリズムが崩れてひどく落ち込んでしまう 普段だったら気にも止めない程度のものなのに 小さな石ころでとんでもなく気持ちが揺り動かされてしまう そんなことで揺り動かされてしまう自分が許せなくて更に落ち込んでしまう そんな激しく揺れる水面のような感情に流されることを許容できるようになりたい

          小さな石ころで揺れる水面

          自己肯定感と我儘

          自己肯定感があればあるほど、いい我儘が言える 自己肯定感があればあるほど、いい我儘を受け入れられる 物事をいい方向に進めるためには、みんなの総意ではなくて、少しの我儘が必要なのだ そんな我儘を受け入れられない自分がいるとき、自己肯定感の低いことに蓋をして器用に折り合いをつけているが、本当の自分が垣間見えてしまうのだ

          自己肯定感と我儘