見出し画像

シンプルなタスクを積み重ねる大切さ 楽器習得と外国語習得

何かを上達したいと思うなら、シンプルなタスクを継続して積み上げるという方法に尽きると思う。楽器も例外ではない。あまりに飛躍が大きかったり、単純な部分をすっ飛ばしていきなり複雑なことに取り掛かろうとすると、必ず無理が出て、出来るものも出来なくなる。

ピアノの習得では、よく、初心者の大人は子どものような上達は見込めない、と言われる。これはもちろん運動能力の面も関係しているのだが、個人的意見としては、大人はすぐにレベルに合わない複雑なことをやりたがる、という点も関わっているように思う。子どもは単純な音型の短い曲を次々弾くことを嫌がらないのに対し、大人の方は経験がある分、知識が先行して、基礎を飛ばして難しいことをやりたがる傾向がある。確かに、大人が子どもの教本を端から端まで練習しても、さほど面白みは感じられないだろうと想像する。

しかし、この大きな飛躍がない、小さなタスクの積み重ねこそが、上達の鍵なのである。AからG地点へ行くのに、A→B→C→D→E→F→G とたどれば、ひとつひとつに無理がなく、従って確実に習得が出来る。しかし、これをA→Gへすっ飛ばすと、本来習得されているものがされておらず、Gのタスクは意味不明という事態に陥る。足し算と引き算を勉強しただけで、因数分解に挑戦するというようなものである。

ピアノの場合、ルートは色々と種類があっても、その過程で習得するべきものは同じである。クラシックピアノとジャズピアノを比べた場合でさえ、途中までの道順はほぼ同じである。ここを疎かにすると、ピアノは上達しない。おそらく一曲くらいは、なんとかかんとか、難しい曲を弾けるかもしれないが、応用は全く効かないので、ピアノそのものが上達した訳ではない。また、一見弾けているように聴こえても、細かい部分はぐしゃぐしゃで聴くに耐えないということもある。

初級のうち最も大切なのは、確実にこなせるシンプルなタスクを積み上げていくことだ。ピアノ特有の運指を身につけ、鍵盤に対する指の感覚を養い、指の配置、打鍵スピード、両手足のコンビネーションをコントロール出来るようにすることだ。そして譜面を理解出来るようになること。沢山の教本があり、それぞれ賛否両論あるが、どの教本も、飛躍を作らず、シンプルなタスクの積み重ねで上達させていくという点では、優れている。

だから、指もしっかり動かず、譜面も読めないうちから、コンクールだの、演奏会だの、見栄えのする一曲を仕上げることばかりに集中すると、基礎の積み上げが疎かになり、総合的なピアノの腕前そのものは、大して上達しない。もちろん、ある程度基盤が出来てからこういった経験をすると、絶大な効果を得られる。しかし、基礎となるタスクの積み重ねをすっ飛ばしてまで、合わないレベルのことに手を出すと、逆効果である。

大人は経験知識が邪魔をして、さらにタイパ重視であり、退屈な繰り返しを嫌う。頭で考えて理解出来たとしても、実際音を出すというのは別の作業である。楽器とはそういうもので、曲を聴いたり、楽譜を眺めたりしているだけで、自動的に演奏出来るようになるものではない。実際に身体を使って繰り返し、細かいタスクの積み重ねで習得出来るものなのである。この辺りが、大人の上達を妨げる一要因ではないか、と個人的には思う。

これは外国語学習にも当てはまると、常々思う。例えば、日本人は他のアジア諸国と比較しても英語力が低いとのデータがあり、様々な要因が指摘される。どれも最もだとは思うのだが、実践的に使えないという観点から考えると、難しい言い方をしようとし過ぎるのではないか、と思っている。

プロの通訳の方によると、中学3年までの文法を完全にものにすることが、最も大切なのだという。それほどまでに基礎が大事なのだという。

日本人が英語をはじめ、外国語コミュニケーションが流暢になりにくい一因は、長く複雑な文を言おうとし過ぎるからではないか。例えば、関係代名詞をひとつも使わずとも、同じ趣旨の文を言うことは可能だ。むしろ、口語では、短くシンプルな文が伝わり易く、好まれたりもする。日本語の会話でも、何が主語で、どこに結論があるのか分からないような話し方には、辟易するはずだ。

おそらく日本人は、外国語学習の際、単純な文型の繰り返しをあまりやらないのではないかと思う。すぐに応用問題に進み、新たな、より複雑な構文を覚えようとする。これが学校教育のためなのか、日本人の習性なのかは分からない。しかし、シンプルなタスクを積み重ねるという方法は、あまり取られていないように思う。

楽器にしても、外国語学習にしても、スポーツや他のスキルにしても、この、シンプルなタスクを積み重ねるというのが、普遍的な上達の法則だと感じるのである。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?