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走ることの本質

ランニングしてますか?私はしてます。この時期の朝夕は気持ちの良い時間が続きますね。

最近は走っているとマスクがびしょびしょに濡れて気持ち悪いので、自転車に乗ることも増えてきました。

景色を楽しむ体力的な余裕とグイグイ進む爽快感が自転車の醍醐味ですが、あまり汗をかかないしビールを美味しく飲むためにも、出来るだけランニングするようにしています。

以前、両国に住んでいたことがあって、そのときは隅田川に沿って走っていました。(娘はここで自転車の乗り方を覚えました)

舗装された道を両国橋から吾妻橋まで、娘と二人でグルグル往復していたら、彼女の小さい背中と自転車は溶けてバターになってしまいそうな気がしていたのを覚えています。(彼女はちびくろサンボのオレンジのTシャツをよく着ていました)

隅田川のかすかな潮の香りの中に遊覧船が泳いでいて、対岸の蔵前から浅草まで並ぶ雑居ビルの稜線の向こうに沈んでいく日曜日の夕日が、私の休日の終わりを告げます。(娘はなかなか帰ろうとしません)

春から夏にはジェットスキーが川波を割いて水しぶきを飛ばしていました。いくつかのジェットスキーの下品な音と機体の色合いにうんざりして、沈んでしまえと思っていたのは内緒の話です。

娘の小学校入学をきっかけに両国から引越すことになった時、この隅田川沿いの美しさだけが名残り惜しくて、今では用もないのに首都高に乗り、この景色を見に行くことがあります。不思議なもので、あの趣味の悪いジェットスキーを探したりもします。

普段は煙草を吸いたいと思いませんが、ドライブしている時には無性に吸いたくなる瞬間があります。それは自由を感じる瞬間であり、昔みた映画の憧憬がそっと心に蘇ってくる瞬間です。

革命の象徴としてのチェ・ゲバラも、平和を歌ったジョン・レノンも、家族への愛を貫いたゴッド・ファーザーもみんな煙草を吸っていました。私は愛と自由と平和のために禁煙を何度やめようと思ったかわかりません。

走ることは自由な心へ続く一本道に乗る行為であって、それは足でも自転車でも車でも、本質は変わらない。できれば手の込んだ思い入れの強いマシンに乗りたいとは思うけれど、たどり着く先は変わらないのかなという気はします。

でも気の毒に、たるみ始めたお腹を見ていると、今日もランニングしなきゃいけないな、と思う次第であります。

結局、ビールは飲んじゃうんですけどね。




サポートしていただいたお金で、書斎を手に入れます。それからネコを飼って、コタツを用意するつもりです。蜜柑も食べます。