【今日のnote】酔っ払うとなぜか出てしまう、強がりな言葉についての考察。
どうも、狭井悠です。
毎日更新のコラム、92日目。
東京滞在も、早いもので、あと2日ほどになりました。
17日には年甲斐もなくUltra Japanへ参戦する予定なので、その頃にまた来ますが、いったん地元に戻ることになります。
まだ今日明日も、楽しい予定が詰まっているので、東京の空気をしっかり味わって帰ろうと思っているところです。
東京にいる間は、とっても良いお酒の時間ばかりでした。
たぶん、人生でいちばん楽しくお酒を飲むことができているんじゃないかな。それくらい、毎回機嫌よく、そして楽しいです。ありがたい限り。
ただ、お酒を飲むとどうしても、心を許してしまうばかりに、自分の恥ずかしい部分が出てしまう時もあります。
「なんであんなこと言ってしまうんだろう」と、あとから思うような、酔っ払うと出てしまう強がりな言葉ってありませんか?
ちょっと恥ずかしいんですが、自戒の意味も込めて、書いておきます。
僕の場合は、
「ひとりで生きていけるから大丈夫」
という言葉です。
恥ずかしい。恥ずかしいなあ。
何を言っているんでしょうね、本当に。
でも、酔っ払うとなぜか言ってしまう。
大丈夫。ひとりで生きていけるから。そっとしておいてもらえればそれでいい。自分のことは、自分でなんとかやっていく。今までもそうやって生きてきたし、これからもずっと、そうやって生きていくんだ、みたいなね。
——わかる。
うん、わかるよ。
たしかにわかるんだけれど、でも、これって、わざわざ楽しく飲んでいる時に口にする必要もない言葉のはずなんですよね。だから、すごく恥ずかしい話なんです。
だって、そんなにひとりで生きていけるなんて主張するなら、だったらひとりで飲んでなよって話だから。ああ、恥ずかしい。自分がいやになる。すみません。まるで、太宰治の百番煎じくらいの感じですね。
閑話休題。
それで、なんでこんなことを言ってしまうのかを、ちょっと考えてみました。
たぶんですが、僕自身がどこかで、そうやって「お前はひとりで生きていけるから大丈夫なんだぞ」と、自らを鼓舞しなければ、生きていくバランスを保つことができないからなんだと思うんです。
そして、この言葉の根元をもっと深く探っていくと、僕の幼いときのトラウマのようなものに行き着くんですよ。
うちの両親は離婚していて、しかも離婚が決定した当時、僕は中学校1年生で、不良にいじめられていました。その頃、父親は下半身不随の障害者になってしまっていて……もう、とにかく人生の中で最低な時だったんです。
その頃のことは、「#8月31日の夜に」企画に投稿した、以下の記事でも振り返っていますので、よければ読んでみてください。
離婚して母親が家を出て行った時のことを、今でも僕は鮮明に覚えています。
その時に、母親は僕にこんなことを言ったんです。
「あなたは大丈夫だよ。あなたはちゃんと生きていける。わたしにはそれがわかる。だから、大丈夫。何も心配はいらないよ」と。
そして、母親は玄関を開けて、出て行きました。
しん、と静まり返った玄関。
僕はなす術もなく立ち尽くして、離れていく母親の背中を見送る。
僕はこの言葉に、それはもう、めちゃくちゃに傷つきました。
だって、大丈夫かどうかなんて、誰にもわからないじゃないですか?
なんで、大丈夫なんて言い切れるんでしょう。
僕は当時、不良にいじめられていて、どうしようもない学校生活をしている中で、母親は出て行き、下半身不随の障害者になった父親と、小学生の妹の三人で暮らしていかなければなりませんでした。
大丈夫じゃないよ。なんで、離れていく人間が、俺の人生を勝手に決めるんだよ。
——大丈夫なんかじゃないから、おいていかないでよ。
そんなことがありました。別に今、この件で母親を責めたいとか、そういうわけでは決してありません。実際、この頃に辛かったという話はすでにしているし、今では仲の良い親子です。
ただ、僕は母親が残した予言通りに、「周りからは大丈夫に見えるように」、ひとり努力を重ねながら、試行錯誤しながら、なんとか生きてきたんです。
辛いことがあった時は、人を頼って相談にのってもらうことはあっても、最終的にどうするかは、常に自分の判断で決めてきたと思っています。
やがて僕は、自分がコントロールできないことについて、悩むことを辞めるようになりました。
どれだけ努力したところで、誰かの人間性や心情、周りの環境などを自分の意志でコントロールすることは、絶対にできません。
コントロールできるのは常に、自分自身だけ。
だから、裏切りや失恋など、人間関係の悩みで心が千切れそうになったとき。過労で身体が限界を迎えたとき。どうしようもなく寂しくて、孤独に耐えきれなくなりそうになったとき。自分がコントロールできない、大きな壁にぶち当たったとき。
僕はいつも、自分に言い聞かせて、生きてきたんです。
「ひとりで生きていけるから大丈夫」と。
ああ、人生というのは、なんとも、常にままならない。
だからきっと、酔っ払うと、ときおり、言ってしまうんですよね。
「ひとりで生きていけるから大丈夫」だって。
とても恥ずかしい言葉。
けれどこれは、ずっと自分を鼓舞するために言い聞かせてきた、いわば呪文のような言葉だから、どうしても、ふとした瞬間に、ぽんと口から出てしまうときがあります。
もしも僕が酔っ払って、この言葉を口にしていたとしたら、「また言ってるよ」と、苦笑いして、「君は頑張って生きてきたんだね。えらいね。たいへんだったんだよね」と、優しく諭してやってください。
そしてたぶん、これまでも、気を許したひとには、こうやってたまに管を巻いて、迷惑をかけて、そして、笑って許してもらってきたんだと思います。
ああ、なんとも恥ずかしい。
けれど、ありがたいですね。
僕と仲良くしてくれる皆さん、本当にありがとうございます。
あなたのようなひとがいるからこそ、僕はお酒を飲んで、恥ずかしい強がりが、たまには言えるってもんです。
そして、ただ強がるだけでは終わらせず、必ず強く生きてみせます。
どうぞ末永く、よろしくお願いします。
今日もこうして、無事に文章を書くことができて良かったです。
明日もまた、この場所でお会いしましょう。
それでは。ぽんぽんぽん。
サポートいただけたら、小躍りして喜びます。元気に頑張って書いていきますので、今後ともよろしくお願いいたします。いつでも待っています。