見出し画像

noteがブルーオーシャンになる理由

つい本音が出てしまいますが、こたつ記事ライターにとってクラウドソーシングって過酷な市場だと思いませんか。収入が超低空飛行のみならず、テストライティングにさえパスしない毎日に、ゆきづまりを感じるばかりです。

自分の力量が足らないからという理由がある一方で、前回記事では、このクラウドソーシングが、レッドオーシャンになってしまう理由を書きました。レッドオーシャンとは、多くの競合がひしめきあい、激しい競争を繰り広げざるをえない市場のことです。

ただ運を天にまかせる面はありますが、良いクライアントに恵まれることがごくたまにあるので、ボクはいまだにクラウドソーシングでの仕事を続けています。

他方、ブルーオーシャンとは競争相手がいない未開拓市場を意味します。今回の目的は、noteがそのブルーオーシャンになる理由を書くことです。

このnoteで、ボクは愉しく連載記事を書いています。読者の方から〈スキ〉や〈フォロー〉をいただいて、ウキウキ小躍りしているのです。ではそれがなぜブルーオーシャンにつながるのでしょうか。今回はその理由を書きたいと思います。

理想の未来像をめざすことの意味

図表12.1 欲望のCSP・理想のnote

前回、書いたことですが、CSPは〈欲望=短期的願望〉を満たすことに重心があります。CSPとはCrowdWorksやLancersなどの〈クラウドソーシングプラットフォーム〉のことです。ボクの場合、このCSPで〈欲望を満たす〉とは、まずは月5万円稼げるようになることです。

一方、noteは〈理想=長期的願望〉をめざすことに重心があります。たとえばボクの理想は〈書く仕事で自立すること〉であり、そのためにnoteで連載記事を〈書き続ける〉ことをしています。[連載10]で書いたことです。

欲望を満たしたいならCSP・理想を目指したいならnote

ところでいきなり重い話題でごめんなさい。長沼伸一郎が書いていたことですが[1]、ボクも人とは苦難それ自体によって死ぬことは稀だと思うのです。人間を殺すのは実は絶望であり、どんな苦難があってもどこかに活路があると信じている限り、人間は驚異的な力を出して生き抜くものだと思うのです。

『夜と霧』(原題:"Man's Search for Meaning")は、オーストリアの精神科医であるヴィクトール・フランクル(Viktor Frankl)が書きました。本書はフランクルがアウシュヴィッツでの自身の体験を通じて、人間の精神的な強さと生きる意味を見出す力について書いています。

ボクの印象に強く残っているのは「アウシュヴィッツで生き残ったのは、庭に咲いた小さな花をきれいと思えた人間だ」とのフランクルの言葉です。

ボクがCSP市場でゆきづまりを感じたのはなぜでしょうか。それは〈理想の未来像=書く仕事で自立したい〉と〈いまの自分〉に断絶を感じたからです。理想の未来像への想像力が枯渇したからです。活路が見いだせないと感じたからです。

実はボクは4か月目に〈月5万円〉の目標を達成しました。ではその結果としてボクはゆきづまり感から脱却できたのでしょうか。実はそうではありませんでした。あいかわらず、ゆきづまっていました。なぜならばボクにとっては〈月5万円=短期的願望=欲望〉と〈書く仕事で自立したい=長期的願望=理想〉とが断絶していたからです。

仮にボクがCSPで〈月20万円〉を実現できたとしても同じことです。マズローのいう〈基本欲求=短期的願望=生活を安定させる〉を充足するうえではハッピーな〈月20万円〉。でも厳しい競争が繰り広げられるレッドオーシャンで、だから不安定なCSP市場で仮に〈月20万円〉を実現できたとして、〈欲望=短期的願望〉を満たすための活動を繰り返した先には何があるのでしょうか。〈欲望=短期的願望〉を満たすための活動と〈長期的願望=理想〉を目指す活動は、どう関係するのでしょうか。ボクにはゆきづまった自分しかみえませんでした。

その一方で、大きく息をついた自分をみつけることもできました。それはボクを信頼してくれるクライアントとの〈つながり〉が、ボクに希望をくれたからです。

押しの経済の時代

図表12.2 世界は関係でできている

この連載記事のメインテーマである〈エフェクチュエーション〉のマントラのひとつに〈世界は関係(つながり)でできている〉があります。この世界における〈わたしの存在〉とは、〈関係(つながり)の濃さ〉そのものです。

この〈つながり〉が想像力を触発することがあります。同じ志向をもったボクたちの出会いと言葉の交わし合いが、共感を生み出すことがあります。時には話を聞いてもらうだけですっきりすることもあるでしょう。時には本を読んだ時に、〈これはわたしのことだ〉と涙することもあるでしょう。

関係が構築できにくい市場

たとえばアマゾンで買い物をするとします。アマゾンでボクが買い物をする理由は便利だし安いからです。つまり〈欲望=短期的願望〉を満たすためです。アマゾンでの買い物は〈アマゾンという市場における貨幣(お金)を介した交換〉です。

この〈市場における貨幣(お金)を介した交換〉の特徴は、取り引きが1回こっきりで終わることです。関係(つながり)の構築ができないことです。お金を介しているので、どこにいる誰と交換しているかわかりません。少なくとも相手の熱量や感情、フィーリングを感じ取ることが難しいので、さまざまな手法を使って補おうとします。でも限界があります。

たとえばクライアントがCSPで発注するとします。(そうではないクライアントがいるにしても多くの)クライアントが発注する理由は、CSPが便利だし低コストで発注できるからです。CSPでの発注は〈CSPという市場における貨幣(お金)を介した交換〉です。

CSPの特徴は継続取引に移行しなければ、取り引きが1回こっきりで終わることです。関係(つながり)の構築ができないことです。アマゾンほどではありませんがお金を介した交換なので、どこにいる誰と交換しているのかよくわかりません。少なくとも相手の熱量や感情、フィーリングを感じ取ることが難しいので、CSPも仕組みをつくって補おうとします。でも限界があります。

ときめきの贈与によってはじめて〈押しの経済〉が起ち上がる

〈贈与経済〉という考え方があります。贈与経済は「あ、贈与されちゃった。はやく返礼しないと」と感じた人の出現によってはじまります。[2]

たとえばnoteの記事を読んで「あ、これはわたしのための記事だ。はやく返礼しないと」と感じた人が〈スキ〉をポチっとしたり、その作者を〈フォロー〉することによって始まります。つまり贈与経済は、贈与を感じた読者の返礼によって成り立ちます。

でも贈与は難しいんです。贈与には祈りと想像力が必要なんです。祈りとは、贈与の差出人たる作者の「ボクが伝えたいことが届いてくれるといいな」という願いのことです。「ボクの記事がわずかながらでも役立ってくれるといいな」という想いのことです。でもその祈りは〈届かない可能性〉があるんです。

でも祈りが届く奇跡が起きたとき、それは作者への返礼としてかたちになります。そしてそれが作者の〈理想の未来像への想像力〉を触発する触媒になるのです。

作者の祈りにこめられたカギとなるメッセージと、それがぴったりはまる心のカギアナをもった読者がnoteで出会った時、コミュニティが起ち上がり〈押しの経済=贈与経済〉が出現するのです。

きっとそのコミュニティは、小さなコミュニティだと思います。しかもひとりひとりは実に多様な〈押し〉を持っているでしょう。多種多様な押しのコミュニティの関係(つながり)でnoteはできている。ボクはそんな風にnoteをみています。

そのひとつひとつのコミュニティは、奇跡のようにカギとカギアナがぴったりはまった世界を作り上げています。だからおのずとオンリーワンです。小さいかもしれないけれども、競争とは無縁の〈ブルーオーシャン〉です。

もう一度、書き続けることの意味を考えてみる

それではボクが、押しのコミュニティの関係でできているnoteで書き続けるとは何をすることなのでしょうか。次回は〈noteで書き続けることの意味〉にもう一歩、踏み込んでみたいと思います。

出所

[1]『経済学の直観的方法』長沼伸一郎著、講談社刊2020
[2]『困難な成熟(文庫版)』内田樹著、株式会社夜間飛行刊2017年

連載記事一覧

[連載04]押しの経済時代のエフェクチュエーション
[連載05]生成AIは神か悪魔か?芥川賞作家の神回答がツボにはまった件
[連載06]劣等感の真実
[連載07]こたつ記事ライターのエフェクチュエーション① - 絶望感を克服して愉しく生きる方法
[連載08]こたつ記事ライターのエフェクチュエーション?- 収入の不安定さをコントロールする
[連載09]こたつ記事ライターのエフェクチュエーション3:目的や目標ではなくて手段からはじめた方が幸福になれる理由
[連載10]幸せの青い鳥の原則
[連載11]noteとクラウドソーシング、こたつ記事ライターがめざすべきなのはどっち?
[連載12]noteがブルーオーシャンになる理由
[連載13]新しい記事を書くってなんでこんなに愉しいのだろうか?
[連載14]ライターが「やりがい搾取」を感じるとき



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?