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幸せの青い鳥の原則

橘玲が指摘する残酷なこの世界で、愉しく幸福に生きるためにはどうしたら良いのでしょうか。収入が超低空飛行に悩むこたつ記事ライターのボクは、どのようにしたら〈書く仕事で自立する〉ことができるのでしょうか。

悩ましい毎日をときめく毎日に変えるために、ボクは〈幸せの青い鳥の原則〉と呼ぶ、エフェクチュエーションの考え方を道案内にしています。

手中の鳥の原則

エフェクチュエーションの5つの原則のひとつが〈手中の鳥の原則(Birds-in-Hands Principle)〉です。〈手中の鳥の原則〉はふたつのルールからなっています。

  • 〈目的や目標〉からではなく、〈手段〉からはじめること。

  • 手段とは〈手段としてのわたし〉であること。〈手段としてのわたし〉とは〈目標とするわたし〉ではないこと。〈手段としてのわたし〉とは、いまのわたしが〈知っているひとやこと〉であり〈できること〉であること。

なぜ目的や目標からではなく〈手段としてのわたし〉からはじめるのですか?

図表10.2 コーゼーション - 目的や目標からはじめる

たとえばボクがこたつ記事ライターとして〈3か月で月5万円の収入目標〉を設定したとします。この目的(目標)を設定したとたん、〈3か月で月5万円〉はボクにとって、3か月以内に達成すべき到達点であり終点になります。

ボクはその終点に到達できれば満足だし、そうでなければ不満足です。でもそれとボクにとっての理想の未来像(書く仕事で自立したい)は、どう関係するのでしょうか。3か月で月5万円を達成できて満足したり、3か月で月5万円を達成できなくて不満足なボクと、書く仕事で自立したいボクは、どう関係するのでしょうか?

ボクが幸福を感じて愉しく生きることができるためには、書く仕事で自立しているボクに、ごくわずかずつでも向かっているという実感が必要です。わずかずつでも向かっているという実感さえあれば希望が生まれます。なぜかといえばその実感から、書く仕事で自立している未来像への想像力が生まれるからです。

未来への想像力が枯渇している状態を、ゆきづまっているというのです。

図表10.3 エフェクチュエーション - 手段からはじめる

エフェクチュエーションは、目的(目標)の考え方をコペルニクス的に転回します。目的についての考え方を180度、変えてしまうのです。

エフェクチュエーションにおいては、目的はもはや到達すべき終点ではありません。目的は、現在の状況(世界)をわずかずつでも変えていくために、新たにモノやコトを作りつづけることそのものです。ライターのボクであれば〈書き続ける〉ことそのものです。

目的は〈手中の鳥の原則〉にしたがって、〈手段としてのいまのわたし〉からはじめて、書き続ける過程での偶然の出会いや偶然の機会から、だれかとつながり、約束(契約)と交換をとおして、状況(世界)をわずかずつであっても変え続けることなのです。

〈書く仕事で自立したいわたし〉の究極的な完成ではなく、完成をめざし、新たに執筆する作品をたえまなく洗練させつづけること。読んでいただける読者に、そしてクライアントに喜んでもらえること。これこそが〈生きている目的〉なのです。

その喜びの返礼をもらうことで、ボクに未来への想像力が生まれ、希望が生まれること。そしてその結果のひとつとして〈手段としてのわたし〉の成長があること。

〈手段としてのいまのわたし〉からはじめて書き続けること。それ自体が目的になるのです。

幸せの青い鳥は自分の中にいる

モーリス・メーテルリンクの『幸せの青い鳥』では、チルチルとミチルが〈幸せの青い鳥〉を探して旅に出ます。様々な試練に出会いながら見つけた〈青い鳥〉が、実は〈青い鳥〉ではないことを学びます。そして〈青い鳥〉は手に入れることが出来ないものであることを悟るのです。しかし朝になって自分の家で目を覚ますと、青い鳥が実はそばにいたことを知るのでした。

この物語が示唆していることは何でしょうか。ボクはこう思いました。〈幸せの青い鳥=幸福な世界を作り出すモノやコト〉は、自分たちの外側の世界にただ存在しているわけではないこと。幸せの青い鳥は、実は自分たちの中にいること。というよりもむしろ、自分たちで作り出すものであること。でもはじめはそれがわからなかったこと。成長してはじめて、それがわかるようになること。

ボクはこれを〈幸せの青い鳥の原則〉とよんでいます。

さて〈こたつ記事ライターのエフェクチュエーション〉、まだまだ続きます。またお会いできれば幸いです。


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