生成AIは神か悪魔か?芥川賞作家の神回答がツボにはまった件
もちろんライターのボクにとっても興味深い話題です。独自の調査や取材を行わずにWebメディアからの情報収集をもとに記事を書く〈こたつ記事ライター〉。ボクもこたつ記事ライターですが、そのうちに生成AIに代替されるという気がしています。
それに大手が生成AIを使って低単価の受注をはじめたりなどの噂も聞こえてきました。いろいろ不都合な未来がみえてきましたね。
これからどう考えればいいのだろうかと悶々としていたところ、意外なところから神回答の降臨です。
AIが生成する“言葉”と人間が紡ぎ出す“言葉”の違いは何なのか
たまたまNHKを観ていたら、『東京同情塔』を書いて芥川賞に選ばれた九段理江さんのインタビュー番組をやっていました。生成AIを使いこなして本書を書いたという九段さんは問われます。「AIが生成する“言葉”と人間が紡ぎ出す“言葉”の違いは何なのか」と。
生成AIは何するものぞを考えると、こういうかたちではないでしょうか。
一方、こたつ記事ライターのかたちはこうです。
生成AIとこたつ記事ライターのかたちは同じです。ということはこの二者は性能を競う関係にあります。
やっぱりこたつ記事ライター、絶体絶命です。だって生成AIが持ってる知識量、神レベルですし、情報検索のスピードもダントツです。しかも生成する文章も、なんだかあたまがいい人が書いたようにしかみえません。
でもね、生成AIとはこんな会話はできないんです。
生成AIは高性能マシンなんです。だからこたつ記事ライターが生成AIと同じ土俵で競っても、あんまりいいことにはならないんです。
でも生成AIは持ってないものがあります。それはなにかといえば、生成AIには生活した経験がありません。りんごをかじった時に、じゅわっと口の中に広がる甘酸っぱい酸味を知らないんです。
生成AIは感情を持ちません。知っていることは教えられたことだけで、しかもその教えられた知識が自発的に、新しい知識を生み出すこともありません。
生成AIには〈人との共感〉ができません。人間は生成AIと同じかたちで考えることもありますが、でも人間社会とは、さきほどの映画帰りの二人のように〈同じ場の同じ状況を共有する、ボクたちの言葉の交わし合いから生まれてくる、その場限りに通用する意味や価値〉に支えられていると思うのです。
生成AIには共感に裏付けられたコミュケーションができないことを考えれば、こたつ記事ライターはディレクターとかマネジメントを目指す方向がひとつありそうです。
もうひとつは、将来はわからないから現状ではという条件付きで、生成AIには書けない経験を織り込んだライティングや、微妙な感情のゆらぎをおり込んだ文章に向かうのが良さそうだとボクは思っています。
そうでなければ、生成AIにも踏み込めない高度な専門知識を備えるとか、新しい発想を提案する方向に向かうべきかと考えています。
人間の創造性は”偶然”に支えられている
逸脱とはなんでしょうか。型にはまらない。自由でいていい。ちぐはぐであってもいい。むしろ、そのちぐはぐが面白い……とか。
レゴブロックには二種類の製品があります。
ひとつは、レゴブロックの部品だけが入っていて、好きなものを自由につくるというもの。
もうひとつはティラノザウルスとかリモコン操縦のロボットとか、完成品のかたちをみせて、その完成をめざすというもの。
ボクが子どもの時だったら、絶対300%、自由につくる方が愉しいです。なにをつくりたいのか、はじめはぼんやりしてるのですが、部品を組み合わせているうちに、なんだかいろいろ浮かんできて、夢中になって組み合わせているうちに、なんだかちぐはぐなものができちゃったとか。それは偶然そういう形にできたものでしかないけど、それでもメチャ、愉しかったとか。
でもティラノザウルスを作れということであれば、その完成が目的になってしまいます。途中で部品が1個足らなければイラっとすると思うんです。それにできた形がちぐはぐであれば、その作品は〈失敗〉になります。
もちろん作品として世に出すためには練り上げる行為が必要なんですが、でも想像力がおよぶかぎり、どのイメージに胸がときめくかだけを基準にすすむ過程は、自由で愉しいものになると思うのです。
自由で愉しいエフェクチュエーション
エフェクチュエーションを創案したサラスバシー教授は、エフェクチュエーションの対概念にコーゼーションをおきました。
コーゼーションとは、ティラノザウルスの完成を目指して進む一本道です。一方、エフェクチュエーションとは、〈手段としてのわたし〉をレゴブロックの部品として進む、自由で創造的な旅路です。
偶然出会った人たちとのつながりの中で、偶然得られた知識や情報を手掛かりに、偶発的な出来事を触媒にして、〈わたしができること〉を育みながら進む旅路になるのです。
連載記事では、コーゼーションの一本道から降りられなくなったボクたちが長く苦しい失われた30年の閉塞状況に陥っていることを書きました。だからこのゆきづまった状況にゆらぎをもたらす〈新しい方法〉としてのエフェクチュエーションを提案しています。
エフェクチュエーションの各論について書く〈ショートストーリー編〉、はじまったばかりです。またお会いできれば幸いです。
連載記事一覧
[連載04]押しの経済時代のエフェクチュエーション
[連載05]生成AIは神か悪魔か?芥川賞作家の神回答がツボにはまった件
[連載06]劣等感の真実
[連載07]こたつ記事ライターのエフェクチュエーション① - 絶望感を克服して愉しく生きる方法
[連載08]こたつ記事ライターのエフェクチュエーション?- 収入の不安定さをコントロールする
[連載09]こたつ記事ライターのエフェクチュエーション3:目的や目標ではなくて手段からはじめた方が幸福になれる理由
[連載10]幸せの青い鳥の原則
[連載11]noteとクラウドソーシング、こたつ記事ライターがめざすべきなのはどっち?
[連載12]noteがブルーオーシャンになる理由
[連載13]新しい記事を書くってなんでこんなに愉しいのだろうか?
[連載14]ライターが「やりがい搾取」を感じるとき
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