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「大衆になりたくない」と思う人もまた「大衆」であるというジレンマ。
この文章を読んだ時、「はあ、なるほど。」
目から鱗状態であった。
兼ねてより、自分の中にある「個性」に対するモヤモヤをこれほどまでに、的確に表現した本に出会ったことがなかったためである。
2020年、私は趣味で少し被写体をしていた時期があったのだが、(今でも辞めてはいないが)その時出会ったフォトグラファーさんの「大衆になりたくない」の言葉が不意に蘇った。
何の話をしてそんな発言をしたのか、
「男でフェミニスト」なら良かった。
フェニズムを学びはじて、最初に思ったことは、「もっと早くに出会いたかった。」だった。
ただ、最近、その感情が変化している。
もっと早くに出会いたかったが半分。
もう半分は、「知らなきゃ良かった。」だ。
フェミニズムを学んで間も無く、私は今まで経験した数々の嫌な事が、明らかに性被害であることを認めざるを得なくなり、今までに感じたモヤモヤのあれこれが家父長制に基づく性差別である事を知った。
つまり
私が男性恐怖症になった”ワケ”
こんなタイトルをつけた。
もしかしたら、知っている人もいるかもしれないし、
知らない人もいるかもしれない。
ただ、最初に明記しておきたいことがある。
それは、私のこの「男性恐怖症」というのは、「男性嫌悪」の感情、所謂「ミサンドリー」とは全くもって別物である。
そして、全ての男性に対して恐怖を抱いているわけではない。
(説得力には欠けるかもしれないが、私は現在バイオロジカル的には「男性」と
How I became “male-phobic”
Today, I'm going to write note in English for the first time.
I feel like I can express my feelings more accurately in English than in Japanese. If there is a request, I might write a Japanese transl
意志の所在なんか関係ない。
知らなかった。
私は無関係だよ。
そんな無関心な傍観者も差別を容認してしまう事になる。
だからこそ、「差別」を知ろう。
自分が被害者にも加害者にもならないように。
差別はされた側が学ぶのではなく、
加害者側が学ばなければならない。
「フェミニズム」は過激なんかじゃない。
この話をスタートする前に、2つだけはっきりさせておきたいことがある。
1つ目は、私自身、まだまだフェミニズムについては、勉強中である。
そのため、もしかしたらうまく説明できない点や至らない点があることをご了承願いたい。
2つ目に、
私は、「差別」なんかしない。
差別主義者などではない。
と心の何処かで確信している人は、ひとえに自分がもしかしたら、自分が何らかの「差別」をしているのではないかと
あなたが自分らしく生きるのに苦労する理由。
「誰かになりたい。」「でも、誰かになりたくない。」
そんな生きづらさを感じることは、日常で多い気がする。
「ひらひらのスカートが履きたかった。」
ある時、こんな話を読んだ。
このブログの主は、自分が大好きな「かわいい」を身に纏うことで、幾度なく性被害に遭ってきたようだ。
「自分が自分らしくいることは悪なのだろうか。」
「もう誰かになりたかった」
「誰かになってしまえばよかった」
そう
不安なのは、私だけですか?
最近は不安しかない。
そのことを考えると息が詰まって、うまく空気を吸えない。
苦しい。苦しい。
苦しいことを考えることを考える。
そんな日々を送っている。
国内のコロナの感染者の数が連日5万人を超えた。
先の見えない不安と闘う日々。
幸い私は、温かい家に恵まれ、その日生活するお金も食べ物にも困ってはいない。
ただ、明日の保証などどこにもない。
それは、生きている人間皆同じであろう
「今日一日無駄にしたなー笑」の呟きに込められたモノ。
「今日1日無駄にしたなー笑」
こんな呟きをTwitterで見てふと感じた。
「ああ、私も今日1日を無駄に溶かしてしまったと。」
そして、私の今日1日を無駄にしてしまった所謂、敗因は何であったのだろうか、と延々と考えていると、面白いYouTubeを見つけてしまって、2時間近くを溶かしてしまったことや、たくさん課題がある中で、編み物を息抜きにと思ったら、熱中してしまって、ついでに、本を読んでしまっ