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「フェミニズム」は過激なんかじゃない。

フェミニストではない人たちをどう呼ぶか。

性差別主義者というのだ。

いや、もうひとつ、忘れていた。

傍観者っていうのがあった。

女にも男にも、誰にでも、

被害者にも、加害者にも、そして

傍観者にも、ならないで欲しい。

―上野千鶴子



この話をスタートする前に、2つだけはっきりさせておきたいことがある。


1つ目は、私自身、まだまだフェミニズムについては、勉強中である。
そのため、もしかしたらうまく説明できない点や至らない点があることをご了承願いたい。


2つ目に、
私は、「差別」なんかしない。
差別主義者などではない。

と心の何処かで確信している人は、ひとえに自分がもしかしたら、自分が何らかの「差別」をしているのではないかという可能性をただちに認めてほしい。


もしかしたら、差別する意図がない人に「差別主義者」だと突きつけ、それに対し善悪の判断を下すのは、時に全てが正しいとは限らないかもしれない。
(現に上野さんは、上記のように「傍観者」という言葉を使っている)


だが、「知らなかった」「差別する意図はなかった」というそんな気持ちで行った行為、発言、態度は全て差別という言葉でカテゴライズされるべきであるし、

ただちにその認識や行動を改めなければならない。


「私は差別に遠い」と思うこと、
この慢心が「差別」の原因であると私は考えている。


加えて、これが差別ではなく、「然るべき区別なのだ」とその認める段階を超え、開きなおるようになった瞬間、それはれっきとした「差別主義者」である。

これは間違いない。


だから、私自身も「差別」を学ぶ身であると同時に、
常に自分が「差別」の加害者であるという可能性を絶対に捨てない。

(振り返れば、自分の過去にした発言に、どんなに悪意が無かろうとしても、それはれっきとした差別だったと、後々認識し、深く反省していることはいくつもある。)


大切なのは、
自分が加害者側にも被害者側にもなりうること。
そして、きちんとした知識を持つこと。
その上で、差別行為を改めることである。





今回は、今まで、自分が「フェミニズム」に出会う前に感じていたあれこれを交えて、フェミニズムに対する誤解を私の学んだ範囲で説明したいと思う。
(これは①とでもしよう。続きも書く予定だ。)

このnoteに対して—————————————————

もしも、専門的な観点から見て間違った認識をしているのならば、ご指摘いただきたい。

なお、今まで培われた固定概念により、何の根拠にも基づかない反論、所謂アンチは謹んでいただきたい。

顔の見えない「誰か」にネット上でなれたとしても、その向こうには必ず人がいることを考え発言していただきたい。
—————————————————————————


上記が守れない方は、今すぐにnoteを閉じていただきたい。

無駄な議論に費やす労力はお互いにとって、なんの生産性も意味も持たない。無駄なことは一切したくない。

また、場合によっては然るべき対応を取らせていただくことをご了承願いたい。





▶︎それでは、はじめよう。


ある時、こんな文章を見かけた。

「過激なフェミニストが悪目立ちする。」
と書かれていた。


「フェミニズム」を学ぶ前、私も失礼ながらTwitterなどで発信するアクティビストの方々には、同じようなことを思っていた。


正直、「どうしてこんな過激な発言するのだろう?」

「過激な」というのは、主に言葉使いの問題である。

何も知らなかった自分は、(本当に失礼ながら)
「挑発的な」物言いが、とても怖かった。

フェミニストについては、何方かと言えば
「怖い」そんなイメージだった。


ただ、「フェミニズム」を勉強する中で、この考えが180度変わった。

学んでいくうちに、この所謂フェミニズムを「過激で、悪目立ち」していると思うのは、

いかに自分がこの問題に対して、
「ちょっとは冷静になろうよ。」
と宥めるような素振りをしながら、目を背けていたかを明らかにした。



加害者や傍観者は、大抵「事を荒立てる」のを嫌うだろう。まさにそれだ。

面倒臭い事は、やめてくれよ。
そんな物言いするとびっくりするよ。
ちょっとは落ち着けよ。

過激な物言いで、フェミニズムに対して注目を集めようとしているんだろ。
過激じゃないと伝わらないからなぁ。

これは、違う。
誤解してほしくない。

「フェミニスト」の方々は、

決して「過激」などではなく、然るべきところで声を上げることができない「被害者」のために、そして自らのために、より生きやすい社会を作るために、声を上げている人々なのだ。


彼らは、あくまでも「女性の基本的な権利のため」に闘っているのである。


彼らは、決して「文句垂れ」なんかではない。
過激なんかではない。


彼らは、「生きやすい社会を作ろうとしているのだ。」





「過激な」の2つ目の理由として、フェミニズムに対して何の知識ももっていない人々の頭ごなしの批判である。


先に述べておきたいのは、
私自身も「思考の完全性」などは信じていない。
(どんな思考にも、至らないところがある。完璧なんて存在しないだろう。)


ただ、自分が知らない故に出てくる疑問を、
もしも「フェミニスト」の方が、うまく説明できなかったとしても、

それはその「フェミニズム」そのものの欠陥では決してない。

それは、紛れもなく、あなたの勉強不足である。

そもそも、アクティビストなどとして活動されている方が「フェミニズム」を全て語ることができるはずがない。(それは時間的な面においてもだが)

「フェミニズム」は女性学として、
「学問」として成立している以上、当然ながら様々な考え方があることだろうし、

だからこそ、その答えが1つでないことを理由に語れないことがあるだろう。

ただ、それをその学問そのものの欠陥などと考えるのであれば、

そもそも「学問」そのものの捉え方が間違っている。

(そんな一筋縄で語れるはずがない。)



そして、少し逸れてしまうかもしれないが、

「フェミニスト=過激」と言うのは受け取り方の問題もあると思う。

というのも、
フェミニズムについて正しい理解がなかったころ、
私は、「フェミニズム」は
男性を「所謂搾取する存在」として敵対していると思っていた。

そもそも「女性学」って? 

そんな理由から、サークルで、フェミニズムを名乗る男性に出会った時、驚いたのを今でもよく覚えている。

(自ら敵対されたがってる….????)

だが、この流れからお分かりだろうが、
「フェミニズム」は男性=敵として考えるものでは、もちろんない。
男性からしたら、「今まで女性は家父長制のせいでさまざまな問題を抱えてきた」などと聞いたら、居心地が悪いと思う。(少なくとも私が男性なら気分が悪い…)

「俺は、今まで生きてきて女性に対してそんなことはしていない。」「男性だからといって一括りに決めつけるな。」


私が男性で、「フェミニズム」のことをよく知らなかったら。

私もきっと同じことを思う。絶対思ってる。



高校3年生の時。

私は、日本の国費留学のプログラムで、中国に2週間日本大使として留学した。

その時、中国はちょうど中華民国建国60年だった。


日本にも中国の方に対して、敵愾心を持っている方がいるように、中国にも日本に対してかなりの敵愾心がある人がいる。

北京で訪れたある建物では、建国60周年の展示として、日本人がこれまでに犯した数々の残虐な事件の展示などがされていた。

私とペアになっていた中国人の女の子は当然、こんなプログラムに参加するぐらいなので親日である。
そのため、彼女は、「私に何度もそれは見ない方が良い」と言い続けて、私をその展示から遠ざけようとした。

けれど、私は、その度重なる忠告を無視し、展示を隅から隅まで携帯を使って内容を翻訳し、見てまわった。

それは、私自身が「日本人」として、(戦争の時代を生きていなかったとしても)
自分たちの前の世代がしてきた数々の残虐な行いを目に焼き付けるためだ。

だから、私は「大使」として、民衆という層で中国と日本の関係を良いものにしていきたい。この展示を見て過去を振り返り、思った。


平和で友好な関係を築きたい。
だからこそ私は、過去の歴史も現状も見つめて考えなければならない。
それは、例え、私が直接の加害者でも被害者でもなくても。


「フェミニズム」についても同じことが言えると思う。


現状を考える上では、きちんと「過去」を見つめなければならないし、「今」も見つめなければならない。


もしも、それから目を背けよう、自分は関係ない、そう思う時点で、それは「差別」に加担したことになるし、現状をよりよいものにする努力を放棄する行為に等しい。

だからこそ、「自分は関係ない。」「自分はそんな差別的なことはしていない」ということは決して思ってはいけない。

私たちは、常に「被害者」同時に「加害者」にもなり得てしまう。

だからこそ、きちんと目を向けなければならない。

背けてはならない。




そこには、「落ち着けよ。」「冷静になれよ。」などという慰めに似た「逃げ」などは必要ない。


ましてや、
その最前線で活動する方々に対して「悪目立ち」などというのはいかがなものなのだろう。


もう一度言おう。

「彼らは決して、理性を失って文句を声高に叫び続けている」のではない。



彼らは、「権利」のために闘っているのだ。



偏見という見えない壁を打ち壊しているのだ。





その勇気を、本当に賞賛したい。



私を気づかせ、変えてくれたフェミニストの方々。
本当にありがとうございました。

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