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ガンディー、インドでの反ローラット法運動。

反ローラット法運動

第一次世界大戦が終わります。イギリスが勝利し、戦争協力への見返りにインドの自治が拡大されるのではないかと期待が高まったのですが、結果は逆でした。🥺

1919年3月ローラット法が施行されます。
戦時中のインド防衛法に代わり、令状なしの逮捕、裁判手続きなしの投獄を可能にした治安維持法でした。
煽動的な資料を持っていただけで投獄され、市民の自由は大きく制限されるようになります。


ガンディーは、ハルタール(ストライキ)を呼びかけます。

「サッティヤーグラハは自己浄化の闘いです。宗教上の戦争です。宗教儀礼の開始は浄化によってするのがよいと思われます。
その日全員が断食をします。
そして仕事、商売は休みます。」

4月6日にインド全土で決行されました。
都市部で農村部で行進が行われました。
ヒンドゥー、イスラム両教徒が一心同体となり、行われました。

サッティヤーグラハ闘争として法律不服従が行われ、各自の家で許可なしに塩を作ったり、政府によって出版と同時に発禁となった本を印刷し販売したりしました。


そのような中で、各地で暴動も起こります。
弾圧政策が猛威を振るいました。
パンジャブ州で、4月13日ジャリヤーンワーラー・バーグ虐殺事件が起こりました。
ダイヤー将軍が民衆に向けた発砲を兵士に命じ、1000人を超える死傷者を出したのです。


ガンディーは「ヤング・インディア」と「ナヴァジーヴァン」の2紙を発行し、自分の考えを自由に発表しました。
サッティヤーグラハについて国民に知ってもらうようにしました。

ガンディーはパンジャブ地方に入り、政府が戒厳令下で行った暴政について調査しました。
第一次世界大戦でパンジャブ地方から多くの兵士がイギリス軍に参加したにもかかわらず、ひどい弾圧を受けたのです。

しかし、このように多くの犠牲者を出したのにもかかわらず、ローラット法は廃止できませんでした。

成功続きのガンディーでも、今回は達成することができませんでした。😣


参考文献
「ガンディー自叙伝」東洋文庫

「サッティヤーグラハの歴史」東洋文庫

「ガンディー 平和を紡ぐ人」竹中千春著 岩波新書

「ガンジーの実像」ロベール・ドリエージュ著 文庫クセジュ

「ガンディー『知足の』の精神」森本達雄編訳  人間と歴史社

「ガンディー魂の言葉」浅井幹雄  太田出版



執筆者、ゆこりん

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