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加害者としての戦争 戦後の731部隊―悪魔の取引②

731部隊は戦後どうなったのでしょうか。

部隊長であった石井四郎軍医中将らの幹部は敗戦後日本に潜伏していましたが、当時の占領軍司令部GHQに対して731部隊の情報を渡す代わりに戦犯訴追を免除してほしいと申し入れました。

このことに関して、アメリカ国務省とマッカーサー司令官との間でかわされた極秘電報の記録がアメリカ国立公文書館で発見されました。


その内容は次のようでした。


「石井とその他の日本人関係者に対しなんらの言質を与えることなく、できるだけ多くの細菌戦情報の収集を続けること。

こうして得た情報は事実上諜報の範囲にとどめおくこと。そして東京国際軍事裁判の場でもうこのようなやり方で隠しおおせないほど、石井らの犯罪証拠が明白となるまでは現在のような情報収集を続けること

石井らに戦犯免罪の言質は与えないが、米国当局は、米国の安全保障上の見地から、石井とその同僚に対し、戦争犯罪の責任は追及しない。

日本の細菌戦の経験は米国の細菌戦研究計画にとって大きな価値を持つものであり、731の情報が戦犯裁判を通じて明らかになり、それが他国へ伝わるなどということはアメリカの国家安全保障上勧められない。」



アメリカは、731部隊の持つデータを独占するかわりに731部隊の戦争犯罪を見逃したのです。
アメリカはこれらデータを後の朝鮮戦争などで活用しました。


1946年に行われた石井四郎の供述調書の記録もアメリカで保存されていました。

その中で石井は、731部隊で行われていた細菌や毒物に関する実験の様子、細菌爆弾、細菌戦についても詳しく供述しています。
石井は731部隊が日本本土に引き上げてきた際、全隊員に対して731に関することは軍機であるので秘匿することを命じていました。
しかし、自分はすべての情報をアメリカに提供し免責を得ていました。


石井たち幹部は戦後、仕事も地位も得ました。石井の後に一時期部隊長になった北野政次はミドリ十字株式会社の社長になり勲章も受けています。



先日、旧日本軍731部隊の「職員表」などの公式文書が見つかったという報道がありました。
幹部や技師として加わっていた医学者など97人分の名前が記載されているそうです。

これまで部隊が発足した当時、どういう職員がいたかわかっていませんでしたが、今回見つかった資料から隊員たちが戦後にどうなったかを探ることもできるので、731部隊の解明が進むことを期待します。


森村誠一氏は73部隊の意味するものを次のように述べています。


「『悪魔の飽食』は日本人による『加害の記録』である。加害の記憶は風化されやすいしまた記録しがたいものである。

しかし、どのように忌まわしいものであっても、私にはそれが戦争体験の核心として真っ先に語り継がれるものであると思われる。

平和時に反戦を唱えるのはたやすい。
だが国民全体が戦争の狂気に取り憑かれたとき、冷静なブレーキとなるのは過去の正確な記録である。
それは戦争体験のない人々にも戦争の正体を晒してくれる。


われわれが『悪魔の飽食』を二度と繰り返さないためにも、民主主義を脅かす恐れのあるものはどんなささやかな気配といえども見逃してはならない。
われわれは民主主義の敵に対して警戒しすぎるということはないのである。」



今こそ、この警告の意味をかみしめるときだと思います。




参考文献 

続・悪魔の飽食 「関東軍細菌戦部隊」謎の戦後史
森村誠一著  光文社



執筆者、ゆこりん、ハイサイ・オ・ジサン

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