翼日和 本の旅人

小説や詩や哲学書を読むのが好きで、本の旅人として文字の世界を飛び回っています。

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最近の記事

スコーン

行きつけの食堂で週替わり定食を頼もうとすると、シェフが申し訳なさそうに 「今日の定食は全部出てしまいました…予想外にお客が多くて…」 と言ってきた。大丈夫、問題ないです。と私は言いながら、別のメニューを探索する。今日の定食は鯵のナメロウフライとコロッケ定食だった。折角の揚げ物の気分なので、トンカツ定食にしようと思い注文を行う。確かに今日は予想以上に客が多い気がする。先週は客が少ないと言っていたので、客が来ることは良い事なのだが、食べたいと思っていたものが食べられないと切なくな

    • 心の痛みに近づく

      人間には内面の世界と外の世界があると言われる。内面の世界は目には見えないが奥には豊かな世界が広がっているらしい。らしいというのは他の人の内面の世界なんて見えないからだ。だから人は相手の内面の世界を想像するしかない。私は今日もそんな世界を探索する人間なのだ。 「先生は人の心の痛みを何処まで理解出来ると思いますか」 難しい質問だ。他人の痛みは何処まで行っても他人の物であり自分の物とはならない。痛みは想像するしかないが、Aと言う痛みが伝えらえる時には私にはBという痛みの存在になって

      • 夜の闇に飲み込まれたファンタ

        「コークオンでリアルゴールドを買ったらスタンプをもらえるからちょっと自販機に行ってくるわ」 といきなり立ち上がった父は言った。アプリでスタンプが溜まるとジュースのチケットをもらえるそうだ。僕も行くよ。そう父に伝えると、 「おぉ一緒に行こう。暖かくしていかないとなぁ」 大丈夫、温かいジャンバーを着ていくから。僕は厚手のジャンパーをパジャマの上に着込んで父の後に付いていった。外に出ると冷たい空気が僕の身を包みこんだ。寒いね。 「ホントに、いきなり寒くなったよなぁ」 僕は昼の景色と

        • 私が思う私が存在する

          仕事から帰り、一人夕食を食べて物思いにふける時間が何よりも幸せだ。 孤独の作業の中にこそ思想の深淵が垣間見えるのだ。 私はそう独り言を言いながら、ゆっくりと今日の記憶の糸を手繰り寄せていた。 何処かで誰かが言った言葉を思い出す。 そう、そうだ、あの言葉だ。 現実は自分に取り入れた時にフィルターにかけられ、そして自分の中から表出する時にさらにフィルターにかけられる。 現実は二重の意味で編集されるのだ。 実に良い事を言うと思った。 そうなると元々の現実は現実ではなくなり、別な

          純粋にカントは難しい

          「経験から独立して生まれる認識を、アプリオリな認識と呼んで、経験的な認識と区別することにしよう。」『純粋理性批判』カント(中山元訳)  私の中に経験から独立した何かが存在することは私自身は意識した事はなかった。きっと普通に経験したことと経験する前から存在していたことは融合して僕の中に在るモノとなっている感じがする。でもそこをしっかり別で分けることから何かが始まるんだ。  私は何度目かの挫折で読み終えることのなかった純粋理性批判にもう一度向き合う事にした。それは私と言う存在

          純粋にカントは難しい

          叩く方は痛くない

          と、叩かれる方は自分の中で痛みを理解するから止めて欲しいと言う。 こういう痛みが来るだろうなぁと予測し、叩かれたら予測通りかそれより痛い痛みが来るだろう。 こういう他者の痛みに敏感であれば、ハンマーを振り下ろす事はなく、相手を傷つける事はしないかもしれない。でもこいつはこの痛みを味わうくらい当然の事をしたやつだ。って感じで、叩く人もいるだろう。 面白がって叩く人もいるかもしれない。結果を何も予想しないままに。 叩く方は痛くないから、どんな想像だって言い訳だって出来るんだ

          叩く方は痛くない

          ポールオースター『ムーンパレス』

           気温19度。3月の春の季節にふさわしい気温なのかどうかは分からない。私は外に出て走ることにした。走る前に『ムーンパレス』に目を通していた。私の友人がぜひ読んでみてほしいと勧めてきて、先日買った本だ。  著者のポールオースターはユダヤ系アメリカ人で、このムーンパレスは1989年の作品だ。アメリカではブッシュ大統領が誕生し、アフガニスタンからソ連が撤退した年でもある。昭和から平成に変わり、ベルリンの壁が崩壊した歴史的転換期の年なのだが、その34年あまり過ぎた年にまた戦争が起こ

          ポールオースター『ムーンパレス』

          騎士団長殺しを読みながら

          小説を読むときはブラック珈琲を入れてから。 私はカップを出し、ドリッパーにペーパードリップをセットし、モカの粉を1杯半入れてお湯を注いだ。 珈琲は障害者施設から購入したものだが、なかなか味わい深い。 私は椅子に座りながら、読み進めていた文庫本を開いた。 村上春樹の騎士団長殺し。 彼の文体は以前読んだIQ84の3人称から1人称に戻っていた。 私としては彼の一人称の文体も好きだが、以前の三人称の文体もなかなかに味わい深いものだった。 画家の主人公の視点から奇妙な体験。そして現実世

          騎士団長殺しを読みながら

          朝のまどろみ

          「起きなさい」 母の言葉と共に私の朝は始まる。私は朝が弱く、自分の力で意思で起きるのが難しい。だから誰かの力が必要なのだ。声の力が必要なのだ。 「起きなさい」 また母の声が私を呼ぶ。引っ張られるように。声の引力に。私はその引力に引っ張られるように体を起こす。まどろみの中、意識を取り戻し、そして周りを見回す。そこには誰もいない。ただ何もいない空間の中から母の声が私を呼ぶ。 「起きなさい」 と。私の母は既にこの世にいない。けれど声だけは昔のまま私を呼び起こす。永遠に。

          独りと二人のマロンケーキ

          「本を読むと別世界に行きますね」 マロンケーキを頬張りながら彩香は呟いた。 僕と彩香のデートというか二人の過ごし方も色々あるんだけれど、こうやって喫茶店でケーキを頬張りながら、コーヒーを飲み、ひたすら本を読むというのも僕らのデートの定番の一つだった。 喫茶店はよくあるようなチェーン店ではなく、マスターと呼ばれるおじさんが一人で経営しているお店だった。 喫茶店には本も置いてあり、自由に読むことができた。 少し暗めの店内に各テーブルには仄かなランプのような電灯が付いてい

          独りと二人のマロンケーキ

          小説の物語と福祉の物語が交わる場所

          ちょっとずつ小説を書いています。 あまり推敲はしないで自分の中に生まれた言葉をそのまま書いている感じです。 福祉の仕事をしていると、色々な言葉に出会います。 そして僕自身も色々な言葉を紡ぎながら相手と話していきます。 言葉と言葉が出会うときに物語が生まれ、それが僕の人生、相手の人生の物語に織り紡がれていきます。 小説も同じように言葉の織り紡がれていく向こうに物語が生まれていきます。 ただ小説を書くのはとても難しい。 小説は文章の自己満足ではいけないと僕は思うのです。 そこに

          小説の物語と福祉の物語が交わる場所

          孤独の原風景と

          孤独な心の奥底に なにがあるのか知りたくて 潜ってみると そこは底ではなくて 奥には深い深い闇があって もっと潜ろうとした時に 上には光が 下には闇が あの時僕はどこに行くのが正解だったのか だから僕は深い闇に湖を作った どこまでも静かで どこまでも深く どこまでも透明な 湖を作ったんだ 彼女は呟く「今度は何の詩を書いているの?」と。 僕は「未だに答えが出ない何かを書いてみた」と。 僕は孤独の世界にいて、世界の中で未来に絶望していた時に、もっともっと自分の心の奥底に潜ろうと

          孤独の原風景と

          独りと二人の大盛りイチゴパフェ

          「不安定な心の中に何を注入すると安定するか知っていますか?」 大盛りイチゴパフェを食べながら、彩香は僕の目を見つめた。 真剣だ。 そしてとても美味しそうに食べている。 僕は真剣に自分のメロンパフェを見つめて考えた。 「砂糖・・・かな」 彩香は僕の顔をじっと見て、 「正解!りょうくんは分かっているね!」 そう言って、イチゴにフォークを刺して口に運んだ。 幸せそうだ。 確かにスイーツは人を幸せにする。 砂糖がストレスを解消するのに大きな力を発揮することはwebを検索すればいくらで

          独りと二人の大盛りイチゴパフェ

          雨の音と記憶の引き出しの詩

          雨の音 感情のように 波のように 時に人を癒し 時に人を呑み込む ただそこに水の塊が落ちる音がするだけなのに 人の心にも水面のような波紋を投げ込む 心の奥底にある何かを引き出す それは過去の想いで それは現在の繋がり それは未来の架け橋 ただそこに在るだけなのに 感情なんて存在しない単なる現象に 人は想いを馳せて 物語を作るのだ 彼女は呟く「今度は何の詩を書いているの?」と。 僕は雨の音を聴きながら考えたことを感じるままにと伝えた。 僕がまだ小さい頃に空気の中に水滴がたくさ

          雨の音と記憶の引き出しの詩

          孤独さんとプカプカ

          孤独さんはプカプカ浮かんでいた。 独りは寂しいから、誰かに憑こうと思った。 プカプカ浮かびながら、彷徨っていると、欠伸をしている女の子がいた。 あの子にしよう。 孤独さんは、すっとその子の頭に降りた。 するとその子が「あれ?なんか私一人だ!寂しい」と言った。 孤独さんは「私がいるよ」と叫んだが、その子には聞こえなかった。 その子は突然スマホをいじりはじめて誰かに電話をかけた。 「もしもし、うん、なんか急に心細くなって」 その子が誰かとつながった瞬間に孤独さんはぱっと頭から離れ

          孤独さんとプカプカ

          小説から言葉の力を考察する

          最近詩について考える。 小説とは違って、言葉のセンテンスは短く、それでいて力強い。 そこに惹かれる私がいる。 その言葉の奥深さや表現力について考える。 言葉は奥が深い。 それにしても私は長い文が書けなくなった。 昔は長い文章、長い日記を書けていた。 長いからと言って良いものではない。 かといって短い文章の中に魂や力を込めることがまだ出来ない。 長い間、小説から離れていたツケが回ってきたのかもしれない。 今、少し小説に向き合いはじめた分だけ、言葉の表現にも注

          小説から言葉の力を考察する