叩く方は痛くない
と、叩かれる方は自分の中で痛みを理解するから止めて欲しいと言う。
こういう痛みが来るだろうなぁと予測し、叩かれたら予測通りかそれより痛い痛みが来るだろう。
こういう他者の痛みに敏感であれば、ハンマーを振り下ろす事はなく、相手を傷つける事はしないかもしれない。でもこいつはこの痛みを味わうくらい当然の事をしたやつだ。って感じで、叩く人もいるだろう。
面白がって叩く人もいるかもしれない。結果を何も予想しないままに。
叩く方は痛くないから、どんな想像だって言い訳だって出来るんだ。
ふわり…と私はそんなことを頭に思い浮かべた。自分が受けないからこそ痛みを想像してどこまでも優しくなれるし、どこまでも残虐になれる。人って不可思議な存在だなって思うんだ。
それは物理的な痛みにしろ、心理的な痛みにしろ…だと思っている。
と言いながら、安易にあなたの痛みは少しは分かると言ってくる人もいる。でもその少しって何?って思ってしまう。自分の痛みを相手の痛みに重ね合わせることが少しなのかしら。でもそれはあなたの痛みであって私の痛みではない。そしてどこまでも私とあなたの何かは交わる事のないまま平行線になっていく。
「え?それで答えはないの?」
「ないよ、でも答えのない事を考え続ける事はとても大事な事だと思わないかい?」
「私は答えが欲しいわ。それこそ平行線ね」
「まぁまぁゆっくりお茶でも飲んでこの話を深めていこうじゃないか」
「私は嫌よ。美味しいお茶と美味しいケーキを食べる時くらい難しい事は考えない。それって日常で大切にすべきことじゃない」
「おぉそれこそ平行線だ」
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