純粋にカントは難しい
「経験から独立して生まれる認識を、アプリオリな認識と呼んで、経験的な認識と区別することにしよう。」『純粋理性批判』カント(中山元訳)
私の中に経験から独立した何かが存在することは私自身は意識した事はなかった。きっと普通に経験したことと経験する前から存在していたことは融合して僕の中に在るモノとなっている感じがする。でもそこをしっかり別で分けることから何かが始まるんだ。
私は何度目かの挫折で読み終えることのなかった純粋理性批判にもう一度向き合う事にした。それは私と言う存在をもう一段深めるためのものだ。世界をより鮮明に見えるために、より詳しく見えるためのものだ。
そのメガネを付けると少しだけ世界が鮮明に見えるのかもしれない。ただ今の私には度が全然あっていないのでぼやけまくりだ。困った困った。
別に純粋理性批判を読んだからって世界が凄く変わる訳ではないのかもしれない。でもほんの少しだけ世界が見えるようになるのならもう一度挑戦しても良いのかなと思ったのです
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