ポールオースター『ムーンパレス』
気温19度。3月の春の季節にふさわしい気温なのかどうかは分からない。私は外に出て走ることにした。走る前に『ムーンパレス』に目を通していた。私の友人がぜひ読んでみてほしいと勧めてきて、先日買った本だ。
著者のポールオースターはユダヤ系アメリカ人で、このムーンパレスは1989年の作品だ。アメリカではブッシュ大統領が誕生し、アフガニスタンからソ連が撤退した年でもある。昭和から平成に変わり、ベルリンの壁が崩壊した歴史的転換期の年なのだが、その34年あまり過ぎた年にまた戦争が起こるなんて誰が予想しただろうか。
本題に戻ろう。作品はまだ最初の部分で紹介的な要素が多い。主人公のマーク・フォッグは天涯孤独になったばかりで、最愛の伯父との記憶の部分が語られる。どことなく雰囲気が村上春樹の文章にも似ている気がするが、まだ文章の全体を読んでいないから分からない。
私は走りながら読んだ文章を反芻していた。伯父さんから譲り受けた本の木箱を使って虚構の家具を作った。虚構の家具という表現が何ともいえず僕の心に響いてきた感じがする。僕は一時期、小説から遠ざかった時期がある。それは虚構の世界だと言う意識が拭えなかった為だ。そこから現実のドキュメンタリーを好んで読むようになった。そこには生きる人間の生の声が入っている気がしたからだ。
外の景色はどこまでも青く広がっていた。微妙に冷たい風と温かい気温のアンバランスさが何とも言えず私の走りのバランスを崩しているような感じだった。走ると言うことは無になることでもあるし、自分の内に入る事でもある。そこからムーンパレスの主人公の孤独についても考えた。孤独=寂しさではない。抑圧された家族の中で育ったものであれば、解放されたと感じるかもしれない。だがムーンパレスの主人公を襲ったのは寂寥感であった。愛されたと実感のあるものが感じる感覚なのかもしれない。
だがそれは当たり前の感覚ではないと言うことも私は知っている。あまりにも色々な現実を見過ぎた私はまた虚構の世界に戻ってきた。そして主人公のように本を寝具の横に置いて読んだり読まなかったりしている。呼吸を積み重ね、心拍数を読みながら僕は走り続けた。途中で走っている人に数人会ったが、彼ら彼女らも走っている途中に感じるものがあるのかもしれない。10キロほど走り、家に戻ると愛する人はコタツにくるまり眠っていた。何気なく当たり前の空間がそこにはある。同じ時間に戦争で戦っている人がいて、私は走っていて、帰ったら普通に愛する人がそこにいる。
戦争で戦い命を落とす瞬間に人は何を思い、何を残すのか。世界は平和というのは虚構の上になり立っている。いつだって世界は残酷で暴力に満ちている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?