心の痛みに近づく

人間には内面の世界と外の世界があると言われる。内面の世界は目には見えないが奥には豊かな世界が広がっているらしい。らしいというのは他の人の内面の世界なんて見えないからだ。だから人は相手の内面の世界を想像するしかない。私は今日もそんな世界を探索する人間なのだ。
「先生は人の心の痛みを何処まで理解出来ると思いますか」
難しい質問だ。他人の痛みは何処まで行っても他人の物であり自分の物とはならない。痛みは想像するしかないが、Aと言う痛みが伝えらえる時には私にはBという痛みの存在になっているかもしれない。だからこそ痛みは理解出来ないと言う前置きを踏まえて痛みを考えるしかない。いやそもそも心と言う抽象概念のものに痛みという表現を与えるだけで、理解を超えた存在になると言えないだろうか。どこまで行ってもあなたにとってのAは私にはAとして捉えることなどできないのだ。だからこそ理解出来ると言う言葉で片づけてはいけないのだと思ったりする。
「極限までは理解しようと思いますが、それが確実に理解出来るものであるとは思えません。ただ分からないからこそ、少しでも近づきたいとは思っています」
「あぁ良い答えですね。では私が今から私の痛みについて言語化しようと思います。先生は限りなく私の心の痛みに近づいてください」
無理難題を言われたが、まぁ出来るだけやるしかないだろう。私は耳を済ませることにした。

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