1人ぼっちだと思っていたのは自分だ
「芝に寝転びたい」
そう思って公園へ行った。
体と気持ちのしたいままに、身を委ねる
子供達を見ていた
私も走りたくなった
満足するまで走った
走って
走って
走って
蝶々が舞っている
風を感じる
植物の揺らぐ音が聞こえる
気がついたら涙が出ていた
私はただ、生きていたい
この自分で。
社会のルールとか、常識とか
仕事とか、ご飯食べていくこととか
もうすっ飛ばして。
ただ、生きていると感じたい
人や社会に合わせなきゃと思うと
苦しいけど
どんな自分でも
自然は受け入れてくれる
ただただ、いさせてくれる
見守ってくれている
自然の偉大さに気がつく
「ああ、この私でいいんだ。」
これが自然と自分と
<繋がる>ということ。
<今ここ>にいるということ。
どうして
すぐ側に<ある>ことを忘れてしまうのだろう。
どうして
自分に足りないと思ってしまうのだろう。
どうして
人恋しくなって、寂しさをなにかで埋めてしまうのだろう。
私は1人ぼっちという、幼い頃に経験した
強烈な寂しさを持ち続けていたけど
繋がっていないのは自分自身とだった。
そして、ずっとそばにいてくれた
自然のことを当たり前にして
繋がりを感じようとしていなかった。
繋がりを感じられるのは<人>だけじゃない。
私たちは、自然と繋がれる。
繋がりは、安心感を生む。
根本的に人は
自然という大いなる存在に
受容されているんだ。
その事を忘れない。
私たちは、繋がれる。
1人じゃない。
誰かや物、SNSで
自分の寂しさのすべてを埋めることはできない。
もちろん、癒しの段階として
人との繋がりの中で愛着を育むことは重要。
でも私の場合、癒されてもなお
パートナーがいても、友人がいても
どこか孤独な寂しさがずっとあった。
その寂しさと付き合ってきたから分かる
本当に必要なのは
自分と繋がる
大いなる存在と繋がる
つい忘れてしまいがちだけど、
ここに必ず、戻ってこよう。
ありがとう、大好きだ。
スタイルメイカー・安堂むう
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