佐藤純平

様々な職を転々として、現在はwebライター兼webディレクターしてます。ふらふらと散歩…

佐藤純平

様々な職を転々として、現在はwebライター兼webディレクターしてます。ふらふらと散歩して、公園でぼーっと日向ぼっこするのが好き。バトンズの学校1期生。greenz.jp第2編集部(GCC)所属。毎日、日記を投稿しています。今年こそ猫背を直したい。

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佐藤純平のプロフィールとライター実績&執筆事例

ご覧いただきありがとうございます!ライターの佐藤純平と申します。 簡単なプロフィールと、これまで制作に携わった記事などを下記へまとめました。お仕事をご相談いただく際のご参考にしていただければ幸いです。 プロフィール佐藤 純平(さとう じゅんぺい) 1990年8月1日生まれ。山梨県甲府市出身。2013年に和歌山大学観光学部地域再生学科を卒業後、大手予備校に入社。進路指導の経験を経て、2016年に農業見習いとして和歌山県の農家さんの元で働く。その後、2018年にフリーランス

    • 玄米。

      ここ数年、家では玄米を炊くようにしていた。偏った栄養バランス、長年の運動不足、喫煙・飲酒。不健康でしかない生活を送っているから、せめてお米ぐらいはという思いから、玄米を食べるようにしていた。 正直、玄米を炊くのは死ぬほどめんどくさい。お米をとぐ前に、まずは水に浸すという工程が必要になるからだ。それもかなり長時間。正確な時間はわからないが、5時間ぐらいは浸けておくのがいい。そうしないと芯が残り、食感が悪くなってしまうのだ。また炊飯器に入れてからも、玄米は炊けるまでに時間がかか

      • 真夏日、猛暑、酷暑。

        「熱中症対策を」今朝、天気予報を見ていると、お天気キャスターの方がそう言っていた。真夏日のところもあるらしい。まだ5月である。桜が散ってまだ1ヶ月半ぐらい。紫陽花が咲くこの季節に真夏日とは一体どうなっているのだろう。数日、数週間後には、猛暑日のところも出てくるのではないだろうか。もしかしたら、酷暑日のところも出てくる可能性だってある。真夏ぐらいなら許せる。けれど、猛暑、酷暑はダメである。漢字からして怖いではないか。夏の文字すらどこかへ行ってしまっているではないか。ただただ暑い

        • おかゆ。

          夜ごはんの用意をしていて、お米を炊いた。これまでに幾度となく、お米は炊いたことがある。そのような慢心があったからだろうか。二合のお米に対し、三合分の水を入れ、炊いてしまった。 出来上がったお米は、べちゃべちゃだった。水が少し多かったかな、では済まない。おかゆに近かった。かたいお米の方がぼくは好きだから、大失敗をしてしまった。おかゆも嫌いではないけれど、べちゃべちゃのお米はやはり美味しくはない。とはいえ、捨てるのは忍びない。仕方がないから、そのまま食べることにした。 べちゃ

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        佐藤純平のプロフィールとライター実績&執筆事例

          冷蔵庫が満たされること。

          夜ご飯を作ろうと思ったが、冷蔵庫には調味料ぐらいしか入っていなかった。醤油、味噌、ソース、カレー粉。これで一体、何を作ればいいのか。徒歩10分の距離にある、スーパーへ買い物に行くことにした。 作る料理は何も考えていない。カレーでも作ろうか。それとも、豚汁にしようか。いずれにしろ、手がかからないものがいい。そんなことを考えていたが、手に取ったのはバナナや白菜、豚肉、卵などだった。カゴの中を見て、再び愕然とする。これで一体、何を作ればいいのか。作る気力がないと諦めて、惣菜売り場

          冷蔵庫が満たされること。

          話すこと、聞くこと。

          仕事で、ある方と面談をしていて、腋から汗がツーっと流れ落ちた。 毎週、話す方だったから緊張していたわけではない。相手の内面の深い部分に触れるような話をしていたから、熱量が上がったのだと思う。面談が終わった後に立ち上がったら、お尻にも汗をたっぷりとかいていることに気づいた。 人に話す、人の話を聞くという行為はエネルギーを使うものだ。たとえ、それがどんなに近い関係性の方であっても、いや、むしろ近い関係性であるほどエネルギーを使う場合もある。話し疲れとか、聞き疲れとか、そういっ

          話すこと、聞くこと。

          ハラヘッタ。

          ゴォ、グォオル、ギュルルル。 排水口に水が吸い込まれていくときのように、お腹が鳴っている。夕飯は食べた。お腹いっぱいというほどではないが、腹八分目は超えていたはずだ。18時ごろに食べたから約5時間が経過している。それぐらい時間が経てば、消化も進むのだろう。胃や腸がしっかりと働いているということだから、いいのかもしれないが、ものすごく腹が減った。 まるで腹の中に小さな自分がいて、「おーい、はよ飯をよこせ!」と言っているみたいだ。腹が減っていることはもうわかっている。それなの

          ハラヘッタ。

          古着屋で。

          家の近くの古着屋で、在庫処分セールが開催されいていたので、行ってきた。全品3,000円以下。格安である。3枚購入したのだが、1枚のTシャツに小さな穴が空いてるのに気づいた。購入前に確認しなかった自分がいけないし、古着だからそういうものも味といえば味なのだが、やっぱり少し気になる。部屋着として使うか、シャツの下着として着るか。補修ができればいいんだけれど、自分はそこまでの技術がない。それにビンテージと呼ばれるほど古い物ではたぶんなく、値段も安かったので、修理屋さんに持っていく気

          古着屋で。

          よく行くマッサージ屋さんで。

          よく行くマッサージ屋さんで、よくご一緒するご婦人がいる。話したことはない。けれど、店員さんとそのご婦人が話している声を聞くと、「あっ、この人前も前も同じタイミングで来てたのな」と勝手ながらに認知しているのだ。 あまりそういうのを覚えているタイプではないのだけれど、このご婦人はあある特徴がある。店員さんと話す話題がエンタメに関することが多いのだ。ドラマを始め、映画や音楽、漫画についてよく語っている。声から推測するに、60歳を超えているのと思うのだが、昔の作品だけではなく、最近

          よく行くマッサージ屋さんで。

          金曜日にはビールを。

          花金なんて言葉があるように、金曜日の夜は町が花やぐ。「少し暑いな」と思って窓を開けると、笑い声が聴こえてくる。きっと近くの居酒屋で飲んでいる人がいるのだろう。部屋で一人でパソコンに向かいながら、「これが片付いたら、コンビニでも行って、ビールでも飲むか」と思った。 決してお酒が好きというわけでもない。それに強いわけでもない。飲んでも週に1度か2度、350mlの缶ビール1本とチューハイ1本ぐらいで、満足できる。飲まないとやってられないなんて日は、年に数回ぐらいしかないし、そんな

          金曜日にはビールを。

          「ごめんね」より「ありがとう」がいい。

          よく言われることではあるが、やはり「ごめんね」より「ありがとう」の方が嬉しいものだなと思う。 家族から、というか母親からここ数日、謝り続けられている。大きなトラブルに兄が巻き込まれたようで、その相談に乗ったりしていたからだ。先週の金曜日にくだんの一件の知らせを母からの電話で受け、「本当にごめんね」と何度も言われた。それから今日までの数日、LINEで毎日のようにやり取りをしていて、いつも「迷惑かけてごめん」だとか、「心配をかけてごめん」だとか、メッセージが送られてくる。ついに

          「ごめんね」より「ありがとう」がいい。

          5/15(水)くもり。

          5月11日、太陽が爆発した。 いや、太陽自体が爆発したのではなく、表面上で爆発が起こっただけである。日本各地でオーロラが観測されたのも、この太陽フレアと呼ばれる爆発が原因らしい。中には体調不良をうったえる方もいたようだが、自分はそれほど影響を受けなかった気がする。いやいや、調子が悪いのはいつものことで、それほど気にならなかっただけかもしれない。 1億4960万km。地球から太陽までの距離である。地球何周分だろう。計算するのもめんどくさいぐらい、果てしない。光の速さで約8分

          5/15(水)くもり。

          インプット消化不足。

          近頃、記事の企画立案に関しても、このnoteに関しても「何を書こう」「何を発信しよう」と悩むことが多い。その要因はインプット不足だと、少し前までは思っていたのだが、どうやらそうではないと気づいた。そう、インプットはしているのだ。本を読んだり、動画を観たり、むしろインプット過剰と言ってもいい。それなのに、なかなかアウトプットができないのは、インプット消化不足が原因なのかもしれない。 食べ物を食べて消化をするように、インプットにも消化が必要ではないかと思うのだ。たとえば、本を読

          インプット消化不足。

          靴下の穴。

          穴が空いている靴下が、いくつか家にある。捨てればいいのだが、貧乏性なところが出てしまい、家にいる時なら穴が空いてる靴下でもいいやと履き続けている。そして、捨てるタイミングを見失っている。いや、いますぐに捨てればいいのだけれど。 高校生の頃に、穴が空いている靴下を履いて、学校に登校してしまったことがあった。その頃から貧乏性ではあったが、家で履いたときには穴が空いていなかったのだ。部活の朝練をしたことで、破けてしまったのだった。どうしてバレたのかは忘れてしまったが、穴が空いてい

          靴下の穴。

          お花。

          花を飾る生活に少しばかりの憧れがある。花を愛でることができる人は、大人という感じがするし、いわゆる丁寧な暮らしをされている印象がある。 だったら花を買ってきて、家に飾ればいいのだけれど、なかなか手が出ない。すぐに枯らしてしまうのではないかと不安だし、自分の家に花は幾つぶんか不釣り合いな感じがするからだ。全くもっておしゃれでもなんでもない部屋に、綺麗な花が飾られていたら、違和感がすごい。瓦礫の下に咲く花のように、それはそれで魅力的なのかもしれないけれど、でも、やっぱり調和の取

          無題。

          「頼れる人がいなくて」 昨日、母が電話でそう言っていた。「あぁ、これが孤独というやつか」と思った。熊谷 晋一郎先生の「自立とは『依存先を増やすこと』」という言葉が蘇ってくる。一人で全てを抱え、全てをなんとかする。それは自立では決してなく、孤独なのだと自分の母を見ていると、そんな思いが強くなった。 対して、自分はどうだろう。頼れる人がいないということはないけれど、依存先が多いかと言われればそうでもない。心から友だちだと思える人は、わずか数人。数人いれば十分だと満足していたこ