話すこと、聞くこと。

仕事で、ある方と面談をしていて、腋から汗がツーっと流れ落ちた。

毎週、話す方だったから緊張していたわけではない。相手の内面の深い部分に触れるような話をしていたから、熱量が上がったのだと思う。面談が終わった後に立ち上がったら、お尻にも汗をたっぷりとかいていることに気づいた。

人に話す、人の話を聞くという行為はエネルギーを使うものだ。たとえ、それがどんなに近い関係性の方であっても、いや、むしろ近い関係性であるほどエネルギーを使う場合もある。話し疲れとか、聞き疲れとか、そういった言葉があるように、大変なものなのだ。

だから自分の話を聞いてくれるとか、自分に話をしてくれるとか、そういう誰かに対して、もっと敬意を払うべきだよなと思う。相手の時間を奪っている、頂いているという感覚を持って、感謝の気持ちを持っていたい。

一方で、話をしてくれる相手にありがたみを感じていけばいくほど、誰かに話をするという行為のハードルが物凄く高くなっていくようにも感じている。わざわざ相手の時間を奪って、こんな話をするのは申し訳ないだとか、相手の時間を無駄にしてはいけないからこれは一人で考えようだとか、雑談や相談みたいなものがどんどんしにくくなっていく。もっと気軽に考えればいい、けど、相手にとっては迷惑ではないか、そういった思い込みがどんどん膨れていって、誰にも話ができないなんて状況に陥ってしまう。自分も含めて、そういう人が増えているのではないだろうか。

バランスだよね、というよくある結論に行き着いてしまうのだけれど、話を聞いてもらうこと、話を聞くこと、その行為自体は尊く、ありがたいものだと思いつつ、もっと気軽に誰かと話すことができるようになれたらいいな。欲張りだろうか。でも、誰かと話す時間って、やっぱりいいものだよね。

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