- 運営しているクリエイター
#自分と向き合う
【ep.1】言えないのは、優しさか弱さか
世界が怖かった。
ただ "ここにいる" というだけで責められているような気がして。
だから誰かにとって役に立つ存在になれるように
誰も傷つけず害にならない存在であれるように必死だった。
少しでも "ここにいていいんだ" と安心したかったから。
*
幼稚園生の頃、風邪を引いてお風呂に入れなかった次の日。父が気合いを入れて髪を洗ってくれた。
「どうだ?気持ちいいだろう?」と嬉しそうに聞く父に
【ep.2】届けたかったノクターン
私は普段、あまり後悔することがない。
…というより、しないようにしている。
それはきっと、後悔してもどうしようもないことがあると、痛いくらい知っているからなのかもしれない。
*
私には、感じられる情報量が人より多い(のかも)。
表情の変化、声のトーン、助詞一つの使い方でさえも、その人の本音が見える気がして。
今より敏感だった子どもの頃は、自分が伝えるときもそういった "ノンバーバル" な伝
【ep.3】地獄の日々に希望をくれたのは
中3の秋。母のお葬式で、同級生の女の子が手紙をくれた。
「私もお父さんを亡くして…でも、もえかちゃんはお母さんだからもっと悲しいよね」と綴られた温かい手紙。
嬉しかったのはもちろんだけど、私にはとても衝撃的だった。その子は本当に明るくていつも大きな声で笑う人で。そんな悲しみを背負っているなんて、全然気づかなかったから。
私も、あの子みたいにつらくても笑っている人になりたい。
その姿が無性に
【ep.4】歌よ、導いて
もう、なんかどうしようもなくて。
高3の12月。寒空の下、2階にある自分の部屋の窓を開けて、不安定な窓枠に腰掛けた。
そうすれば、この逃げ場のない苦しさも、消えたくて仕方ない気持ちも、怖さに負けてくれると思ったのに…。
このまま落ちてしまった方が、自由になれるんじゃないか。
清々しささえある、初めての感覚。
未練も怖さもスッとなくなって、「あぁこのまま終わるのかな」と思えてしまったあの夜。私
【ep.5】いつか必要としてくれる "誰か" のために
18歳。大学生になってから始まったのは、神戸での一人暮らしと音楽にあふれた毎日だった。
「発達科学部人間表現学科」という、今はなくなってしまった不思議な学科には、現代芸術を専門とする教授がいて。個性的な先生や仲間たちとの、なかなかカオスな日々。笑
聴いたこともなかった現代音楽の世界に、最初は付いていけなかったけど。だんだん「音楽ってなんでもありなんだな」と、私の固定概念をいい意味で崩してくれた
【ep.6】"ふつう"を諦めた、25歳のわたし
会社の中でほとんど使われていない、薄暗いロッカールームが。
めまいがして、呼吸ができなくて、デスクにいられなくなったときの唯一の逃げ場だった。
数時間おきに逃げ込まないと、立っていられないくらい憔悴していた社会人2年目の6月。会社の片隅で、涙を必死にこらえて検索したのが「会社に行くのがつらい」で。
今でも、あのときの浅い呼吸を覚えている。
*
大学4年でシンガーソングライターを始めた後は、
【ep.7】夢は叶えたはずなのに
本当は、ずっと知られるのが怖かった。
歌を作りたい、作るなら歌いたい、歌うなら届けたい、だけど…。
そうして、ライブ活動をしているのに周りの人に「来てね」なんて言えず、SNSでアピールすることもできず、会場にお客さんが少ないと心のどこかでホッとしていた。その方が「本気を出せば、認めてもらえるはず」って淡い期待を抱けたからなのかもしれない。
でもそのままじゃ、先に進めないから。2019年は怖さも
【ep.8】"いい子ちゃん" はもうやめる
「もえかちゃんは "いい子ちゃん" をやめれば、もっといいアーティストになれるよ」
尊敬する先輩アーティストからの核心を突く言葉に、内心よろけながらも。「やっぱり、そうですよね〜」とすぐ返すくらいには、納得していた。
自分の想いを表現して届けるため、歌い続けてきたはずなのに。まだどこかで "守っている自分" がいる気がしていたんだ。
*
2019年にワンマンライブを終えた後、「企画する」楽