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【ep.3】地獄の日々に希望をくれたのは

中3の秋。母のお葬式で、同級生の女の子が手紙をくれた。

「私もお父さんを亡くして…でも、もえかちゃんはお母さんだからもっと悲しいよね」と綴られた温かい手紙。

嬉しかったのはもちろんだけど、私にはとても衝撃的だった。その子は本当に明るくていつも大きな声で笑う人で。そんな悲しみを背負っているなんて、全然気づかなかったから。

私も、あの子みたいにつらくても笑っている人になりたい。

その姿が無性にかっこよく見えて、きっとその子がまったく意図していなかっただろう決意を、勝手にしてしまったのだった。

高校生になり、中学の友だちと離れ離れになると、新しく出会う人には母の話をしないでおこうと心に決めた。

朝6時に飛び起きて、父と中学生の弟と私のお弁当を作り、7時過ぎに自転車を漕いで学校へ。朝補習から7限目までみっちり授業を受けて、合唱部の活動。遅いときには20時頃帰宅し、晩ごはんを食べて(晩は基本父が担当)食器を洗い、課題を済ませて眠る毎日。

母がいたときの家の状態が、壊れてしまうのが怖かったのだろう。仕事が忙しくイライラしがちな父が、少しでも穏やかになるよう気を遣いまくり、弟がテレビばかり見ていると、わざわざリモコンを取り上げて喧嘩になったりして。

家にいるのがつらくても外で誰にも話せず、学校に行くのが苦しくても相談できない。笑顔を貼り付けた顔で学校に行き、暗い帰り道で泣いて、また笑顔を作って家に帰り、夜にひとり、部屋で泣いた。

その状況がさらに悪化したのが、高校2年のとき。

同じ部の同級生が辞めてしまった関係で、私が部長と学生指揮(合唱の技術面の指導)両方の役を担うことに。さらに先生が異動してしまって、合唱のことはまったく知らない先生に変わるという…。

その状態を心配して、春に引退した先輩が秋の大会まで残ってくれたのだけど…それが地獄のはじまりだった。

前の先生みたいな指導をしようとしてくれたのだろうけど、やることなすこと否定される日々。そもそもみんなの前に立って、指示したり指導したりすること自体怖すぎるのに、どんなに頑張っても認められなかった。

朝起きた瞬間、「また1日がはじまってしまった」と絶望して
ずっと「誰か助けて」と心の中で叫び続けて

音楽室のある4階の渡り廊下から、はるか下を見下ろしては「自由になれるかもしれない」と何度も踏み外しかけた。

そんな高2の同じクラスに、なぜか私によく絡んでくる人がいた。特別目立たないおとなしい女の子に、ちょっかいをかけてくるクラスで一番目立つ男の子。今思えば、少女漫画で好まれそうな構図。

私は彼が苦手だった。どんな反応をするのが正解かわからなくて。きっといつもすごい微妙な顔をして困っていただろうけど、それでも彼は事あるごとに声をかけてくれた。

なぜ私なのか、何が目的なのか?笑
何もわからない不思議な関係のまま、季節は秋。

合唱の九州大会で沖縄へ(ちなみに地元は佐賀です)。相変わらず先輩には散々怒られ、食欲もなく、何度もトイレで過呼吸になりながら、何とか乗り越えた。

先輩はその大会で引退。やっと地獄の日々から解放される…はずだったけど。しばらく苦しい余韻が残っていた。

沖縄から帰って、学校に行ったある日。少し気分が悪く、放課後に一人で教室に残って席に座っていたら、彼が来て声をかけてくれた。

「どうしたの?沖縄で何かあった?」

え?どうして?
今まで誰一人として、部活がつらすぎるのなんて気づいてくれなかったのに。

そのときは「大丈夫」とか、すぐ答えたのだろうけど。暗闇にパッと光が差したような、靄がスッと晴れるような小さな感動が、その後も心をときめかせてくれた。

彼にとっては本当に何気ない一言だったのだろう。でも初めてちゃんと "素の私" を見てもらえたようで嬉しかった。

苦しくても笑おうと決めたのは、周りに心配をかけないためだったはず。でも本当は気づいてほしかったんじゃん。この苦しくてどうしようもない気持ちに。

少女漫画みたいな甘い展開は、残念ながら(?笑)訪れなかったけど。あの一言はたしかに、苦しくて仕方なかった日々に希望をくれた。

今でも人生で一番つらかった時期は高2だったと、答えている。でもあの時期、一番私を気にかけて、心配して、元気をくれた彼との不思議な挿話だけは、暗闇の中で輝いている。

***

「私が私を表現できるようになるまで」の物語集。ep.3は、誰にもつらいと言えなくて、勝手に一人で苦しみ続けた高校の頃のお話。

たぶん心のどこかで、「苦しい気持ちを押し殺して笑っているのに、気づいてよ」と思ってしまっていた。それがどんなに矛盾だらけなのか、気づけたのは二十歳を過ぎてから。

あの子が明るかったのはきっと、悲しみを隠すためじゃない。つらさを抱えながらも、乗り越えて笑っていたんだと思う。

楽しいから笑う。つらいなら笑わない。

そんな当然のようなことができない人もきっといると、忘れないでいたいけど。やっぱり感情をそのまま表現できる場所が、ひとり一つはあるといいな。そんな場所を作りたい、なんて思えるようになるのは、まだまだ先のお話。

そんな私が「表現できるようになるまで」、次回のお話も見守ってください^^

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このお話をテーマにした動画を作りました。
テーマ曲は「アイネクライネ/米津玄師」。

予告編物語と3つアップするので、ぜひあわせてお楽しみください!


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