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【ep.4】歌よ、導いて

もう、なんかどうしようもなくて。
高3の12月。寒空の下、2階にある自分の部屋の窓を開けて、不安定な窓枠に腰掛けた。

そうすれば、この逃げ場のない苦しさも、消えたくて仕方ない気持ちも、怖さに負けてくれると思ったのに…。

このまま落ちてしまった方が、自由になれるんじゃないか。
清々しささえある、初めての感覚。

未練も怖さもスッとなくなって、「あぁこのまま終わるのかな」と思えてしまったあの夜。私の頭にはなぜか、好きな歌がずっと流れ続けていた。

母が亡くなってから、フワフワしていた。普通に高校に通っていても、ときどき幽体離脱したような、魂が宙に浮いてしまうような感覚になったりして。たぶん精神的にけっこう滅入っていたんだと思う。

人の意見に左右されやすかった子どもの頃の私にとって、母の言葉は絶対だった。中学受験をしたのも(落ちたけど)、小6のときに地元のミュージカルに挑戦したのも、それを泣く泣くやめたのも…母の影響。

だから急に道標を失って、どう歩いたらいいのか、どこへ向かえばいいのか、わからなくなっていたのかもしれない。

そしてあの夜。
もう、一歩踏み出す力もなくなりかけた夜。
私をこの世界にとどまらせてくれたのは、"歌" だった。

歌いたい。この苦しささえも歌にしたい。
誰かに届けたい。
そうじゃなきゃ、今まで生きてきた意味がなくない?

思い返すと、今よりずっと自己主張ができなかった10代の頃、いろんな人から同じようなメッセージをもらっていたなと思う。

母からは「自分の意見を言いなさい」と言われてきたし、ノクターンの練習ではピアノの先生から "表現" を意識した指導を受けた。

小6のときには、ミュージカルで主役を務めていた大先輩が、休憩中に感情の乗せ方など演技指導をしてくれて。それから演技がもっと楽しくなったし、中学の合唱部では技術面より "伝えること" を大事にする先生に出会った。

"シンガーソングライター" という言葉を知ってからは、自分で歌を作ろうとこっそり試行錯誤を始め、高校では友人に誘われて、文化祭のステージに勇気を振り絞って2人で出た。

高3では、ボイスパーカッションが得意なクラスの男の子が「一緒にアカペラやろうぜ」と誘ってくれて、休み時間に数人で歌ったりして。

自分の気持ちなんて、伝えたいことなんて、押し殺しすぎてもうわかんないよ?でも、本当は届けたかったからなのかなぁ。

いろんな人がいろんな方面から「伝えてみよう」と、私の背中を押し続けてくれたような気がする。そして、怖くて不安で全然できなかったにも関わらず、何度も何度もチャンスをくれた。

あの夜。「歌うために生きよう」なんて力強く思えたのは偶然だと思っていたけど、もしかしたら必然だったのかもしれない。

グラグラだった私の心は、生きる目的を持ったことでスッと軸が通ったように安定し、見える景色まで変わったような気がした。

それから私は、大学の二次試験であえて音楽受験を選び、実技に声楽を選んで無事に合格。歌で手に入れた切符で、憧れの神戸という街で新たな生活を始めることになる。

***

「私が私を表現できるようになるまで」の物語集。ep.1〜4は「自分の気持ちを表現できなかった」私の人生の第1章の物語でした。

ep.4は、ちょっぴり重めの内容になっていたかもしれないけど(いやここまで全部重かったかな笑)、私の中で大きな転機になったエピソードでした。

生きる意味についてはもっと前から考えてきたけど、たぶん、ないんだろうなと思う。きっと人生は、その意味を探す旅なんだろうと。

誰かに決められた "意味" なんてなくていい。
自分の生きる道は、自分で選んでいい。

「選べる権利がある」ということさえ忘れなければ、きっといつからでもまた始められるはず。それだけは大事に覚えておきたいな。

これからは第2章の物語。まだまだ迷い続ける日々ですが、次回のお話も見守ってもらえると嬉しいです^^

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このお話をテーマにした動画を作りました。
テーマ曲は、映画『竜とそばかすの姫』より「歌よ」。

予告編物語と3つアップするので、ぜひあわせてお楽しみください!


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