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浅はかさとの距離

 やみくもに手足を動かしているだけでは、浅はかさとの追いかけっこからは逃げきれない。それは自身の影から逃げようとする行為に近いだろう。  事実、それは影だ。棺桶までつきまとう影だ。逃げ場などこの世には存在しない。日の当たらないところへ逃げ込めば、影はその浅はかさを助長し、闇へと引きずり込もうとするだろう。つきまとう呪いから逃げることはできない。目を逸らすこともまた、できない。  浅はかさは忘れた頃にその姿を覗かせる。もう消え去ったと思っていた、そんな頃が一番危ない。それは頃合

    • 333文字の1文

      我々は這うように丁寧に道を行き、アクセルを踏み込むように一気に峠を進み、妬みやブラフといったすべての取るに足らないものから自由になった場所で、飽きもせずにそれらを押しつけようとしてくるシステムには器用に付き合いつつも熱い茶を飲みながら愛想を尽かし、同じく飽きることを学ばぬ人には徹底した無関心という彼らが享受するに最も相応しい反応をもって返事をし、村人たちで顔を突き合わせては自然の恵みに酔い、笑いと喜びに満ちたひとときに漂い、暖かい夕陽の波に溶け込み、そして空に星が煌めく頃には

      • 浪花放浪

        それは深夜の気の迷いだった。だが、人の心というのは多かれ少なかれ毎晩迷っているのだと思う。それを行動に移すか移さないかの違いがあるだけだろう。そしてその夜の私は、たまたまその気の迷いを行動に移したにすぎない。 関東から大阪までは思ったよりも遠かった。東海道を、ひたすらに自動車で行く。学生時代にデートをした思い出深い横浜を一瞬で通り過ぎ、箱根を越え、広い海を望む一本道を横断した。静岡の街を一目見たくなったので車を停めたが、三十分ほど散歩をするとまたすぐにエンジンをかけた。初め

        • またロンドンの地下鉄で

           ニューヨークの地下鉄で流行しているその不思議な遊びについて見聞きしたのは、いつ頃だっただろうか。  決闘。それがその遊びの名前だった。  プレーヤーは二人。それは隣り合わせた乗客どうしのことが多い。決闘の始まりには、条件がある。その条件を満たしたとき、決闘は自由意志によって唐突に開始される。  それは海外の地下鉄だから自然に成り立つ遊びだ。電車内で見知らぬ乗客とフランクにコミュニケーションを取ることが忌避される日本の文化においては、輸入されたとしてもすぐに消滅するだろう。

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        • Paris
          29本

        記事

          健康的快楽の価値が上昇する時代を迎えて

           あらゆる事物の価値は、その時代の環境要因に左右されるだろう。別の時代では到底受け入れることのできないであろう価値観であっても、その時代に大多数の市民によってそれが信じられているのならば、それは常識ーー価値判断の主体に強く依存した、ひどく曖昧で、それが作為によって流布されたような場合には恣意的ですらある、複雑な概念だーーとなる。  小説を読むことは不良の行いであった。国の命令によって命を投げ捨てる若者を引き止めることは恥ずかしい行為であった。人種の異なる者をそれとわかる言葉

          健康的快楽の価値が上昇する時代を迎えて

          「猫=神」論

           日本国内における自動車保有台数は今年6月の統計でおよそ8,200万台だという。巷では「若者の車離れ」などと言われて久しいが、若者に該当する世代は当然ながら日本の人口のボリュームゾーンではなく、運送業者やタクシー会社、複数台を所有する個人などのケースを考慮に入れても、依然として数多くのドライバーが存在しているということは、体感としても納得のいく事実だと言えよう。  一方で、非常に唐突な疑問ではあるが、国内にはいったい何匹ほどの野良猫が生息しているだろうか。その確かな数は定かで

          「猫=神」論

          バーにて

          数年前の初夏の日に、都心のある狭い店のバーカウンターで、驚くほどに美しい女の子に出会った。 乾杯をしても、彼女はグラスを口に運ばなかった。代わりに、初対面の私の目を子どものようにじっと見つめたまま、ひとつの不思議な話を始めた。 「ねえ、平安時代、知ってる?」 「うん」 「私このあいだね、見てきたの。平安時代」 彼女の口角が上がる。嬉しそうに。企むときの表情ではない。あえて自然な表情を作っているのだろう。いたずらで演じている。 「平安時代を見てきた?」 「ちょっと行って

          バーにて

          煙草

           初めてフランスを訪れた二十歳の冬、パリの街角で煙草を吸っていて驚いたのが、道行く人々がみな気さくに「煙草をくれないか」と声をかけてくることだった。  当時の私がまだ街に馴染んでいない外国人観光客の雰囲気を醸し出していたことは間違いない。プラス・ド・クリシーのラウンド・アバウト前で、私は現地では高価な既製品の紙巻き煙草を吸い(※1)、見るものすべてが真新しいので必要以上に周囲を見回していた。これでは声もかけやすいだろう。実際に、その後何度かパリを訪れたが、旅慣れるにつれて声を

          ケインズとコンコルド効果

          「この世で一番むずかしいのは新しい考えを受け入れることではなく、古い考えを忘れることだ」(ケインズ)  ひとりの登山者の話をしよう。  その山はひどく険しいが、頂上から見下ろす景色は誰もが夢見るほどの絶景なのだという。そんな絶景に惹かれて彼が入山してからすでに多くの時間が経っていた。長時間歩いて体は疲れきり、心なしか、思考すらも鈍っているようだった。  一本道を歩いてきた彼の目の前に、ふいに分岐があらわれた。手元の地図によれば右の道を入って大きく迂回して行くと頂上へと辿り

          ケインズとコンコルド効果

          移動の自由と刑罰

           イタリアの哲学者アガンベンによると、近代では移動の自由が人にとって大きな意味を持つことを理解していたがゆえに、それを刑罰としてきたのだという。  海外渡航はもちろん県境をまたぐ移動の自粛が要請されている現在の状況をこのアガンベンの解釈に則って鑑みれば、国や自治体はまさに「本来ならば罪を犯した者のみに科されるべき刑罰に近い内容」を受け入れることを市民に要請しているといえる。これはなかなかに特殊な状況で、近・現代史においても戦時中をのぞいて他に類を見ないことだ。(※1)2020

          移動の自由と刑罰

          春に寄せて

           先週、夜中の街を散歩していた。街歩きの楽しさは都会と結びつきがちだが、寂れていく地方都市を丁寧に練り歩くのにも趣深いものがある。桜の木には少しずつ花が付き始めていた。春分の日が過ぎ、いつ春が来るのか、と私は待ちわびていた。それはすぐ目の前まで迫っているようにも見えれば、まだ冬がしぶとく居座り続けようとしているようにも感じられた。  街外れの公園の広大な駐車場に停めた車のもとへと近づくと、近くの車の中にちらりと物影を見た。何だろう。特に気にすることでもない。エンジンをかけ、

          春に寄せて

          プルースト現象と記憶について

           プルースト現象という言葉を初めて耳にした、ないしは誰かが創り出したのはもうずいぶんと前になるだろうが、その現象自体は以前から認識していたという人は少なくないだろう。私もそのひとりだが、嗅覚や味覚以上により鮮明に記憶ーーそれも無意識下に沈んで半ば眠っている、能動的に思い出すことは到底不可能だと思われるようなーーを呼び起こす引き金がふたつほどあることに、私はいつからか自覚的になり、そしてその感覚の虜になった。そのふたつの引き金とは、湿度と音楽であった。  突然だが、最後にざあ

          プルースト現象と記憶について

          田舎の夜

          洗濯をして、夕飯を食べて、窓際のソファに座って空を眺めていた。星が見える。天気が良い。窓から入る風は、ついこの間までと比べていくぶん涼しく、乾いていた。今年もようやく夏が終わるのだろう。毎年のことながら、それは嬉しいことでもあり、嘆かわしいことでもあった。時の経過とはそういうものだろう。しかし冬の終わりには似た気分にはならない。年度というシステムの影響だろう。つまり、ここが日本でなければ、冬の終わりと対峙する時の心のありようも違ったものになる可能性がある。新年の迎え方が、国に

          田舎の夜

          どん底 5

           不幸はときに一度に訪れるものである。こちらの足元まで到達するスピードは濁流のように速く、心身を覆い尽くして底深くまで沈めると、渦に巻き込まれて、簡単には浮上させてもらえない。  第一に、それが無視できる程度のものならば、まず確実に無視してしまった方がいい。目を背ける、蓋をする、なかったことにする。下手に抗うよりは逃避するべきである。そういった程度の不幸は、世の中の至るところに流れている。しかし中には濁流のように無視のできない不幸もある。まるで映画のような不幸が、ある。それ

          どん底 5

          老人と酒

           ロンドン市内北西部、カムデン・タウンから数駅ほど北西に下ったところの街で暮らしていた頃、一時期、住んでいた煉瓦造りのフラット(アパートメントに相当する集合住宅)の近くに流しが現れることがあった。それは決まって週末の深夜で、彼はいつも小一時間ほど歌うとどこかへと帰っていく様子だった。最初は酔った人が気まぐれに歌っているのだろうと思っていた。  彼がそこで歌うようになってから数週間ほど経ったある週末の夜、一服をしようと部屋で一本巻いていると、例の歌声がかすかに聞こえ始めた。そ

          老人と酒

          パリについて 2

           もっぱら暑い。しかも雨が降る。梅雨どころではない。日本は雨季のある国になったのだろうか。高温多湿で東南アジアのようだと思うと、ふと雑多な街の路面店で飲みたくなる。軒先でビールケースを椅子にしたものに座って、雨の往来を眺めながら冷たいビールを飲みたい。  ビールも良いが、それ以上にこの気候に合うのがペルノだ。暑くなるとハーブ系の酒が美味くなる。一杯目はジントニックと決めているオーセンティックな店にいそうな酒飲みも、少し浮気をしてシャルトリューズトニックやスーズトニックに変え

          パリについて 2