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移動の自由と刑罰

 イタリアの哲学者アガンベンによると、近代では移動の自由が人にとって大きな意味を持つことを理解していたがゆえに、それを刑罰としてきたのだという。
 海外渡航はもちろん県境をまたぐ移動の自粛が要請されている現在の状況をこのアガンベンの解釈に則って鑑みれば、国や自治体はまさに「本来ならば罪を犯した者のみに科されるべき刑罰に近い内容」を受け入れることを市民に要請しているといえる。これはなかなかに特殊な状況で、近・現代史においても戦時中をのぞいて他に類を見ないことだ。(※1)2020年の春以降、すでに平時ではないとの解釈に基づいて語られることも珍しくない昨今の状況だが、上記のような移動の自由に関する視点から見ても、これが先の対戦以来の歴史の大きな一舞台であることに疑念の余地はないだろう。

 少し歴史を散歩しよう。近・現代以前の日本において、移動の自由の権利はまだ人々の手にするところではなかった。日本各地には関所が設けられており、それを越えて旅をするには武士であろうと庶民であろうと通行手形が必要であり、手形を携えずに関所を越えること、いわゆる関所破りは違法行為に当たった。
 この厳格な人流の管理によるお上の狙いは、情報の把握による安定した統治にあった。「入鉄砲出女」というように関所で提示する手形にはその者の個人情報が記されており、人質として江戸にいる地方の大名の妻などには実質的にほとんど移動の自由がなかったとされる。
 前述した通り、この管理の網を逃れようと関所破りをすることは違法行為だ。たかが移動と思うなかれ、その罪は実に重いものだった。現代に置き換えれば、ちょっと気晴らしに遠出をするのにも通行証を用意したうえで個人情報を提示しなければいけないようなものだ。おまけにその規則を守らないと磔などのとんでもない目にあう。正規のものではない手形が金で買えたとはいえ、リスクを考えれば気が滅入りそうだ。時代が変われば、その社会を取り締まる法規も、人々が享受する自由の内容も、大きく変わる。その一例だろう。(※2)

 当然だが、安定した治世のための江戸時代の政策と感染症拡大の抑制のための現代の政策とではその目的も倫理的正しさも異なる。現在の状況を取り巻くあらゆる種類の要請も、我々が対峙しているものの特性を考えれば、その意義は理解できる(そのやり方については各方面から無数の声があがっているように改善が必要であるとは思う)。重要なのは、この禍が、成熟して安定期を迎えたかのような現代においても時代は依然として変わり続けるということを再認識させてくれた点だ。前述したように、時代が変わればその社会のあり方も変わってしまう可能性がある。
 戦時中の動乱期をのぞいた近・現代の百数十年は、まさに自由の時代だったといえるだろう。それが終わりを迎えたとは思わない。しかし、これまでの人類の歴史が経験してきたのとは違った形の新しい自由の縛りが生まれていくのではないかという予感が常に腹の底に重く居座っている、そんな不快感を感じずにはいられない。一方でそれは、過去の人々からすれば幸せな悩みといえるのかもしれない。宇多田ヒカルは、先日の配信中にたびたび配信が途切れてしまい、それでも「繋がっているから途切れるんだよね」と言った。新たな自由の縛りを危惧するのは、それこそ私たち現代人が新たな自由を獲得し、そして今なおそれを拡大しようともがいていることの証でもあるのだろう。

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※1 慶応3年の慶応の改革、そして明治2年の関所の廃止以降も庶民の移動には一定の制限がついてまわったという見解もあるが、遅くとも近代史の始まりである明治時代の後期には移動の自由の権利は一般市民の手にするところとなった。

※2 大前提として、当時の藩と現代の都道府県とを同列に考えることはできないが。越境の意味合いも大きく異なる。

#日記 #旅 #移動 #自由 #法律

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