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どん底 5

 不幸はときに一度に訪れるものである。こちらの足元まで到達するスピードは濁流のように速く、心身を覆い尽くして底深くまで沈めると、渦に巻き込まれて、簡単には浮上させてもらえない。

 第一に、それが無視できる程度のものならば、まず確実に無視してしまった方がいい。目を背ける、蓋をする、なかったことにする。下手に抗うよりは逃避するべきである。そういった程度の不幸は、世の中の至るところに流れている。しかし中には濁流のように無視のできない不幸もある。まるで映画のような不幸が、ある。それが運悪く自分のいる方向に向かってきたら、覚悟しなければいけない。何の覚悟を? 泳ぎきる覚悟である。

 泳ぎきらなければいけない。諦めて窒息することを自ら選ぶにはいささか楽天的であり、衝動性もなければ、生への執着に塗れており、臆病でもある。具体的にかかる迷惑を補償する担保など持ち合わせてはいない。泳ぎきらなければいけない。

 最初は水面の光すら遠いが、やはり徐々に視界に明るさが戻ってくる。簡単には浮上できないのだから、押し戻されて、明るさが戻ったはずの視界が再び暗転してしまうこともある。しかしそこで手は止まらない。なぜなら、そこで手を止めることを選べる人間ではないということを、濁流に飲み込まれた最初の瞬間の心身の反応からすでに理解しているから。渦に巻き込まれ、そして浮上を試みたという事実が、泳ぎきる以外の選択肢はないという結論を証明しているのだから。

 それは必ずしも純然たる悲劇として結末を迎えるわけではないのである。泳いでいるうちについている筋肉や肺活量もある。暗さや苦しさへの耐性は、少し沈んだ程度なら取り乱さずに難なく浮上できるような冷静さと強さをもたらしてくれるかもしれない。陸へと上がって陽の光をじゅうぶんに浴びた頃には、新たな季節を迎える喜びを感じているかもしれない。その頃には堤防を補強し、ダムを築き上げているかもしれない。濁流に飲まれる以前には想像すらしえなかった幸せに出会っているかもしれない。

 もしも渦に巻き込まれてしまったら、泳ごう。少しずつでいい。酒に酔いながらでいい。ただし、絶対に、酒に溺れても濁流に溺れるな。そうしたら酒を飲むことすらもできなくなる。だから泳ごう。そして辿り着いた岸辺で、一杯やろう。

続く

#どん底 #エッセイ #酒 #不幸

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