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煙草

 初めてフランスを訪れた二十歳の冬、パリの街角で煙草を吸っていて驚いたのが、道行く人々がみな気さくに「煙草をくれないか」と声をかけてくることだった。
 当時の私がまだ街に馴染んでいない外国人観光客の雰囲気を醸し出していたことは間違いない。プラス・ド・クリシーのラウンド・アバウト前で、私は現地では高価な既製品の紙巻き煙草を吸い(※1)、見るものすべてが真新しいので必要以上に周囲を見回していた。これでは声もかけやすいだろう。実際に、その後何度かパリを訪れたが、旅慣れるにつれて声をかけられることはなくなっていった。

 最後にパリを訪れた旅の帰路、乗り継ぎで寄ったインドの空港の喫煙所で、見知らぬ白人に声をかけて火を借りた。煙草絡みで気さくに声をかける風習はすでに私にも浸透していた。
 彼は私が手にしていた手巻き煙草のパッケージ(※2)に少し目を留めると、「フランスからですか」と、英語で訊ねた。彼はフランス人だった。中東に住んでいて、仕事でインドを訪れた帰りらしい。私はフランス語で返したが、しばらくして、共通言語は自然と英語に着地した。悲しいかな、英語の方が会話をするのは楽だった。
 彼とはしばらく互いの半生の話をした。今まで訪れた国、気に入った街、家族、自国の文化ーー。そして連絡先を交換することなく別れた。空港内を搭乗ゲートへと歩きながら、私は充足感を感じていた。そこには、もう二度と会うことはないとわかっているからこそ生まれる、一度きりのやりとりの密度と愉しさがあった。

 帰国してしばらくした夏のある晩、渋谷のとあるクラブの片隅で煙草を吸っていて、近くにいた女の子に煙草をくれないかと声をかけられた。日本でこれが成り立つのは夜の街くらいだろう。だからこそ夜の街が好きだった。
 軽薄なものであるがゆえに濃度を増す場面。それは地つづきな日常の常識と切り離された、朝になれば消えてしまうような、限られた、しかしだからこそ尊い非日常を体感させてくれるものだった。日常には飽きていた。旅に行くのも、夜の街に行くのも、その心の昂りの形は変わらなかった。

 なぜかその日だけ気まぐれで選んだセブンスターを一本取り出して、一度自分で吸って火をつけてから(※3)、彼女に手渡した。それを一吸いすると、彼女はこちらの耳元に顔を近づけて囁いた。私もいつもはセブンスター吸ってるの。14ミリ。同じだね。
 それが本当か嘘かはどうでもいいことだった。本当だとしたところで、私が普段吸っているのはハイライトだった。今度は私が彼女の耳元に近づくと、少し抑えた声で返事をした。同じだね。セッター。彼女の空いた左腕が、気づけば私の右腕に絡んでいた。それは自然なことだった。
 セブンスターはまだ10本以上残っていた。始発まで二人で吸うには十分だ。私の煙草がハイライトだということを彼女が知ることはないのだろう。それが、一瞬、ひどく寂しいことに感じられた。私は愚かにも、非日常の軽薄さの中に日常の自分をも満たす何かを求めてしまっていたのだった。だがその寂しさは、まるで存在してはいけないものであるかのように、すぐに揉み消されて手の届かない心の奥底へと沈んでいった。

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※1 アジア各国で私たちが日常的に買い求める20本入りの煙草は、フランスでは一箱の値段が千円を優に超える。その値段が二千円を超える国も少なくない。従って海外の多くの国では煙草屋や売店の棚には安価な手巻き煙草が多く並び、たいていの人はフィルターや巻き紙と一緒にそれを買って自分で煙草を巻いて吸う。

※2 海外の手巻き煙草のパッケージには大げさすぎるくらいにデカデカと喫煙による健康被害への注意喚起の文と写真が印刷されている。そのとき私が手にしていた煙草のパッケージには大きく”Fumer tue”と書かれていた。英訳すると”Smoking kills”=「喫煙は人を殺す」。JTが導入することはないだろう。

※3 悪いものが入っていないことを証明するための毒味の作法だが、当然このやりとりにおいては結果としてそれ以上の意味を含むことになった。

#煙草 #パリ #渋谷

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