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北村早樹子のたのしい喫茶店 第18回「御徒町 純喫茶丘」

 文◎北村早樹子

 はじめて煙草を吸ったのは、17歳のときだった。当時大阪の高校生だったわたしは、柄にもなく大阪のひっかけ橋という橋の上で弾き語りをしていて、そこで仲良くなったえっちゃんという絵描きの女の子に憧れていた。えっちゃんはとてもおしゃれで、ピアスがたくさんあいていて、美人で、音楽や漫画に詳しくて、全然違う高校だったのだけど、仲良くなったわたしはよくえっちゃんの家に遊びに行っていた。
 えっちゃんの家は、一階でご両親が酒屋兼角打ちのようなお店をやっていて、3階建ての一軒家の屋上に6畳くらいのプレハブが建っていて、そこがえっちゃんの部屋だった。そこでわたしたちは、岡崎京子の漫画を読み、電気グルーヴやコーネリアスを聴き、そして煙草を吸っていた。えっちゃんがガラムを燻らしているのがあまりにかっこよくて、わたしも真似してガラムを吸うようになっていた。今思うと、なんであんな臭い煙草吸ってたんやろうと思うのだけれど、当時はあの匂いが大好きだったし、フィルター部分が少し甘くなっててお菓子みたいなのも、吸うとパチパチと丁子が弾ける音も好きだった。全身がモラトリアムの塊だった。
 高校を卒業し、大学に進学して、ひとり暮らしを始めるとお金がなくなったので、ガラムなんて高い煙草は買えなくなった。それで、当時ひと箱190円だったわかばを吸い始めた。わかばはパッケージも可愛いし、如何にも日本なネーミングも、それからまだ若葉マークなのよ、ってちょっと甘えさせてくれる感じも気に入っていたのだけど、社会に出てからあれはじじいの煙草だということを知った。
 大学を卒業し、結婚し、当時の旦那さんもスモーカーだったので、自然な流れでずっと吸っていた。そのまま26歳で嫌煙家の妹と一緒に暮らし始めるまではずっと吸っていた。とはいえ、わたしはそこまでヘビースモーカーではなく、コーヒー飲むときに煙草を吸う、ぐらいの感じだった。
 そう、コーヒーには煙草。うちは父親がヘビースモーカーだったので、煙草とコーヒーの匂いが実家の原風景のような感じがして、だから煙草を止めて10年以上経った今でも、煙草とコーヒーの匂いが大好きだ。
 しかし今ではすっかり煙草の吸える喫茶店がなくなってしまった。もうわたし自身は喫煙者ではないので、禁煙の喫茶店でも全く問題はないのだけど、未だに喫煙可能な喫茶店を見つけるとうれしくなる。身体に悪いとされる受動喫煙だけど、わたしは深呼吸して煙を吸い込みたいぐらい、副流煙が好きである。
 そんなこんなで、もうわたしは吸わないけど、何故かわたしの近しい人は喫煙者が多く、現在執筆中の実録小説『ちんぺろ』の編集者、Tさんも喫煙者、なので、喫茶店で打ち合わせしましょうとなると、今でも煙草の吸える喫茶店、ここ御徒町の純喫茶丘で会うのが恒例になっている。


 素敵な喫茶店は、看板のフォントからもう愛おしい。丘は、外の看板のフォントの美しさが一等際立った喫茶店だ。一般的な書体とはちょっと違うので、オリジナルでレタリングして描いたのではないだろうか。地下へと降りる階段にもシャンデリアが輝いていて、この先にはダンスホールでもあるのかと期待してしまうゴージャスさだ。
 入口を入ると、早速、雑誌や漫画の棚が。『ミナミの帝王』や『三国志』が揃っている。そうそう、こうでなくっちゃ。ここに『黄昏流星群』でもあれば完璧だなあ。純喫茶という敷居を良い意味で少し下げてくれる漫画たちは、安心の良喫茶店の印だ。
 ドラマや映画のロケ地として使われていることも多い、この純喫茶丘だが、今でも紙巻煙草オッケーの貴重な喫茶店なのだ。ランチタイムに漫画を読みながら一服するおじさんたちを眺めるのも、わたしはとても好き。昼休みに喫茶店に行くおじさんはグッドです。今日もお勤めごくろうさまです、と、心の中でそっと唱える。

 丘の人気メニューは、むっちりした太麺のナポリタン、なのだけど、わたしは実は丘のミックスサンドも好き。丘のサンドイッチのパンは少しぶ厚めでやわらかくてふかふかしていて、中の具材もツナとハムがセットのやつと、トマトとチーズがセットのやつの2種あって、結構食べ応えもあっておいしい。チーズはよくあるぺらぺらのスライスチーズと違って、5ミリくらいあるしっかりしたチーズが挟まっている。トマトとの相性もばっちりで、これもうカプレーゼやん、とにこにこ食べ進める。ツナハムを先に行くのか、トマトチーズを先に行くのか、交互に行くのか、どっちを最後にするのか、そんなことを悩んでいる時間がいちばん平和で幸せだ。

 食後にアイスコーヒーを飲みながら、編集者Tさんが来るのを待つ。人を待つのは好きではないけど、喫茶店の中でなら何時間でも待てる。なんなら1時間くらい遅れて来てくれてもええんやで。だって鞄には読みかけの本があるし、丘には『ミナミの帝王』だってある。それでは、香ばしい副流煙を肺一杯に吸い込みながら、もうしばらくたのしい待ち時間を過ごすとします。(注:丘はそこまで煙草臭い店ではありません)


今回のお店「御徒町 純喫茶丘」

■住所:東京都台東区上野6―5―3尾中ビルB1階 
■電話:03―3835―4401
■営業時間:火~金10時~16時 土日10時半~17時 
■定休日:月曜日

北村早樹子

1985年大阪府生まれ。
高校生の頃より歌をつくって歌いはじめ、2006年にファーストアルバム『聴心器』をリリース。
以降、『おもかげ』『明るみ』『ガール・ウォーズ』『わたしのライオン』の5枚のオリジナルアルバムと、2015年にはヒット曲なんて一曲もないくせに『グレイテスト・ヒッツ』なるベストアルバムを堂々とリリース。
白石晃士監督『殺人ワークショップ』や木村文洋監督『へばの』『息衝く』など映画の主題歌を作ったり、杉作J太郎監督の10年がかりの映画『チョコレートデリンジャー』の劇伴音楽をつとめたりもする。
また課外活動として、雑誌にエッセイや小説などを寄稿する執筆活動をしたり、劇団SWANNYや劇団サンプルのお芝居に役者として参加したりもする。
うっかり何かの間違いでフジテレビ系『アウト×デラックス』に出演したり、現在はキンチョー社のトイレの消臭剤クリーンフローのテレビCMにちょこっと出演したりしている。
2017年3月、超特殊装丁の小説『裸の村』(円盤/リクロ舎)を飯田華子さんと共著で刊行。
2019年11月公開の平山秀幸監督の映画『閉鎖病棟―それぞれの朝―』(笑福亭鶴瓶主演)に出演。
2019年より、女優・タレントとしてはレトル http://letre.co.jp/ に所属。


■北村早樹子日記

北村さんのストレンジな日常を知ることができるブログ日記。当然、北村さんが訪れた喫茶店の事も書いてありますよ。

■北村早樹子最新情報

10月25日(火)「東京30人弾き語り2022」出演

1本のギターを30人で回し弾きするヨコチンレーベル企画の名物イベント「東京30人弾き語り」に北村さんが出演します。




 


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