禁止されてた終電で夜道を歩く
お酒を飲んで帰ると不機嫌になる人だった。
終電で帰ると暗いのに危ないよと叱ってくれる人だった。
そんな声がなんか嬉しくってニヤけながら反省しないのが私だった。
自分のために叱ってくれる人がいるかどうかは人生の通知表な気がしてた頃があって。
怒られるのが嬉しくて好き放題してた時期もあった。
でも一度も煙たく思ったことはなかった。
相手のキャパを試していたのかもしれない。
人への執着が薄い彼に関心を強く向けてほしかったのかもしれない。
仕事が忙しい日に働き方を諭されたことがあった。
がんばっていることを見てくれていない気がして強く反発してしまった。
そのうちに終電で帰っても心配されなくなった。
多分こんなことの積み重ねで駄目になっていったんだと思う。
少しの自分勝手がお互いに積み重なった。
相手のために伝える言葉は相手がどうとっても消化不良になってはいけない。
相手から言葉を送られたときはまっすぐ受け止めないと送ってもらえなくなる。
「自分のつむじを見ている気分になるくらい彼は私と同じ生き物に見える」なんて椅子に座る彼の姿を後ろから眺めて思ったことがあった。
思っていただけだった。
そんなこと考える終電帰りの平日。
人はいないし「おかえりなさいっす」も聞こえない部屋にただいまです。
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