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記事一覧
わが故郷は文化の果てではない
富士市というまちがある。おれの故郷である。人口二十四万、静岡県では静岡、浜松に次ぐ人口第三位の市であり、茶畑と製紙、しらすが主な産品で――という感じの、典型的な地方都市だ。名前の通り富士山がよく見える。東海道新幹線と富士山が一緒に映る、有名なあの景色は富士市のものである。最近では富士山を踏みつけるような写真(!)がインスタグラムなどで流行って、その写真をめぐってジャニーズジュニアなんかは炎上した
もっとみる贋作小説 バカがバカをバカにする社会
最近はやりのあの哲学者の新作、チンカスだね。まるでなってない。読んですらねえけど、顔からしてカスだ。読む気もしねえ。年間センズリ人のレビューを読んだが、漢字が多い。読むうちに吐き気がして、クラクラして、ふらふらして、花になって、ニヒルに笑って読むのをやめたってワケ。漢字を使う奴はバカばっかりって相場が決まってる。だいたい、美しい日本語ってのは基本カタカナってもんなんだ。マンコ、チンコ、ウンコ。
三月三十日のセックス・ラッシュ・タイム
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深夜のコンビニには流れ、つまりラッシュがある。おれはコンビニ店員だからわかる。一便の納品が終わり、高すぎる弁当の品出しも終えた三時頃になると、それまで閑散として、一時間に二人も来ない店内に客がどっとくる。これがラッシュだ。
おれのコンビニは大学の近くにある。つまり大学生ばかりいる。そういうやつらが深夜三時に来るのはどういうことか? 彼らはセックスをする。何回もするだろう。精子を出しまく
ツイートとよばれたいくつかのことば
自序 ツイッターは消えてしまった。そして、もしかしたら、ぼくもいつか消えるのかもしれない。
いや、ぼくたちはもう消えつつある。いまも。そういうしずかな滅びもいいけれど、ぼくは残念ながら、花火をあげながら滅びたい。
だから、ツイッターに書いた一部の文を、残しておこうと思う。二千年後には評価されるかもしれない。今されるかもしれない。
のすたるじぁはじまり
とりはなくのをやめて、ぼくはゆうぐれ
いじめのはなしとむだばなし
田舎の公立中学校というのは、往々にして変である。ブラジル人がひょうきんものとしてもてはやされることもあるし、オカマが重宝されることもある。残念ながら現代的差別はこの場で通用しない。
とかく多様な人種がいるものだ。オカマ、ブラジル人、東北出身、不良、オタク、馬鹿、お嬢様、アタマのネジが外れた子、陽キャ、イケメン、不登校、そしてぼくのようなひねくれ陰キャ。
成人式なんかは半分来ない。中学にい
ジンセイ旅的ザレゴト
「進路」というコトバ。年月を重ねると毎度意味が変わって、中学生のうちは高校進学、高校生のうちは大学進学、で、大学生になると就職という意味になるわりに、結局いうことは変わらずに、やけに近視眼的。そしてその時期を過ぎると一切語られなくなる。
みみっちいよ。進路って壮大なコトバで壮大なこと抜かすわりに、昼飯は松屋に行くか、サイゼに行くか……みたいな話をする。
ボクは本当の進路って「死」にしかない
くらもとの創作物3.5
はじめになぜか別れざるをえなかった悲しい記事です。前回はこれ
ともかく、続きです。
ある再会のシナリオ
会話形式ですが、内容がとてつもなくショートです。習作とさえ言えない試作ですね。こういう形式のちゃんとしたお話もいつか書きたいです。ともかくこれはぼんやり風景。
永遠の課題
私小説です。これを書いているときはギロチンのことばかり考えていました。なんでかは覚えていません。
明中無用