私の世界の創造主は優しかった(破壊と創造の体験記)
「今の自分から変わりたい!よしっ!変わるぞ!」
「現実を変えたい!!!絶対今より幸せになるんだからっ!!!」
「怖いけど、それでも前に進みたいんだっ!!!」
と、意気込んでいたのは、まだ1ヶ月半前のことなのか。
真夏のうだるような暑さの中で、メラメラと闘志を燃やしていたのが、もうずいぶん前のように思える。
気付けばすっかり肌寒くなった。
長袖長ズボンを着て、あったかいほうじ茶を飲みながら、色付き始めたご近所の庭の木々を眺めていると、もう「あの頃」からだいぶ時間が経ったように感じる。
そういった外的環境の変化だけでなく、自分の内面での変化も大きかった。
8月の私と、10月現在の私では、見えている世界がまるで違うのだ。
具体的なエピソードがあまりにもプライベートな話である上に、相手の方々から公開の許可をもらっていない以上、ここに書けないことが残念だが、ここ数ヶ月で本当に様々な出来事が起きた。
いくつか起きた出来事に、総じて言えるのは「破壊」だった。
今まで築いてきた関係性の破壊、私自身が囚われていた固定概念の破壊、自分の保身のために他者を非難しようとする隠れ蓑の破壊、「家族」「親子」「結婚」「母親」への過度な期待や依存心の破壊、
今パッと思いつくだけでも、いろんな破壊が起きたのは間違いない。
しかも、どれも自分の価値観の根幹となっていそうな部分だったので、私自身の破壊が起きたと言っても過言ではないのだ。
さらにそれが自己完結だけではなく、他者に対しても一石を投じたからこそ、波紋が起きたのだ。
「ポチャン…」という波紋から「バシャ―――ン!!!」と波打つ石もあったかもしれない。
ある人にとっては「衝撃的」で「ショック」なことだったかもしれない。
ある人にとっては「葛藤」する要因となり「向き合わざるを得ない」状況をつくったかもしれない。
それでも、私の意志で、あえて起こした波紋だった。
自分にとっても、痛みを伴うことも多かったし、心臓がキュウっとなるような想いもしたし、今までにないくらいの勇気を出した場面もあった。
こどものように泣きじゃくった日もあった。
それでも、私の意思を伝えたことに、後悔はしていない。
具体的な行動をし、様々な破壊が起きた世界は、思ったよりも質素で静かだった。
何か特別キラキラしたような世界でもなければ、晴れやかな青空が広がるような爽快感もない。
ただ、私を覆い続けていたはずの漠然とした不安という靄(もや)は無くなっていた。恐れや罪悪感という沼からも抜けだした。恥ずかしさや自信のなさを隠すための鎧をまとっていたことも自覚した。
そして、私の世界を閉ざしていた重厚な大きな扉が、とうとう開いた。
扉が開いた先に見えた世界は、立ち尽くす程に広かった。
広くて、何もなかった。
靄も、沼も、開けられない扉も、今目の前にはない。
ぐーーーっと両手をあげて、体を伸ばす。
深く、長く、深呼吸をする。
自分の体を、自分で動かしていることを感じる。
この体を、この思考を、この世界を動かすのは、私なんだと感じる。
「自分の人生の創造主は自分自身である」と本で読んだことがある。YouTubeの動画でも何度か見かけたことがある。数年前から知っていても、あまり響かなかったこの言葉が、今は実感としてあるのだ。
実感している上に、もう迷いがないのだ。
そうだ。
私の人生を創造するのは、私自身だ。
「さーて、こっからどうしていこうかな。でもさ、私、結構疲れ溜まってるよね。」
もう、『どうしたらいいのか分からない』ではない。
どうしたいのか、どう在りたいのか、実は結構描けているんだ。
まだ公の場で言わないだけで、私の中の世界では創造が始まっている。
迷いや悩みではない。
どんな風に人と関わりたいのか、どんな自分で在りたいのかも明確になってきたし、逆に、こんな風には人と関わりたくないなとか、こんな自分では在りたくないなとかも詳細に話せるようになってきた。
ならないためにはどうしたらいいのか。
そうなるためにはどうしたらいいのか。
どういう過程をたどっていくのか、どのように進めていくのか、具体的に考える段階に来ている。
ただ、破壊の過程は、なかなかに体力を使ったらしい。
無我夢中で駆け抜けてきたもんだから、自分の体の疲れ具合にも気を遣えていなかったみたいだ。
「よし!脳内で創造はしつつ、体はしっかり休めていこう!」
せっかく豚汁や鍋がより美味しい季節になったんだ。
味わって、あったまって、ほっこりする時間も増やしていこう。
丁寧に料理する時間も、癒しに繋がるかもしれないね。
そうだ。久しぶりにアップルパイも焼こう。
お店のアップルパイも好きだけど、自分で作るアップルパイも大好きだったんだ。
アップルパイを美味しそうに食べる家族の顔を見れるのも、嬉しいもんね。
まだ使っていなかった入浴剤も入れて、ゆっくり湯舟にも浸かろう。
大好きなもふもふの毛布とふかふかの布団も、天日干ししてお日様の匂いに包まれよう。
私の好きなことや、私の喜ぶことを知ってくれている。考えてくれて、用意してくれる。その時間を尊重してくれる。
私の世界の創造主は、私の笑顔を考え、喜んでくれる。
あったかいなぁ。優しいなぁ。
そういえば、2022年5月に、こんな言葉を残していた。
1年半以上も前から、私の中に創りたい世界はあったんだなぁ。
【笑顔が溢れる暖かい世界を創りたい】
もう、誰かに創ってもらうんじゃない。
誰かの世界を創るためにエネルギーを注ぐんじゃない。
私の笑顔が溢れる暖かい世界を、私が創るのだ。
その上で、関わりたい人達と繋がっていけたらいい。
関わった人達が笑顔になったり、暖かい気持ちになってくれたら、もっと嬉しい。
でも、まずはこの世界を護っていこう。
記事を書き始めた時には、破壊した先の世界は何もないように感じていたけれど、書いていくうちに、すでに創りたい世界があったことを思い出した。
これだから文章を書くのは面白い。
破壊と創造の体験記を、これからもここで記していきたい。